【年賀状】時間と労力とお金の面で、お互いにメリットがない。

・年賀状を送るという行為は、伝統という意味では価値のある行為なのかもしれない。
・昔は一年のご挨拶をする方法が他にはなかった。
・だから時間と労力とお金がかかっても、縁を保つことを考えれば安い投資だったと言える。
・しかし、今は他に繋がる方法がいくらでもある。
・紙だからこそのぬくもりという感覚は確かにある。書籍でも似たようなことを言うことがある。ただし、あれとこれとは似て非なるものである。
・書籍の場合は自分に対しての気持ち面での働きかけであること。あくまでも自己完結している。
・いっぽう、年賀状や手紙の場合は相手に対する働きかけである。
・つまり相手が嫌がっていれば自己満足にすぎない迷惑行為となり得る。
・しかしハガキだからこそ伝わるものがある、紙だからこそ人間関係の深みを感じられるのではないか、という感覚があるのも事実ではある。
・しかしながら、紙の有無で人間関係の深みが変化してしまうような関係性が、果たして良い人間関係なのだろうか。
僕は紙だろうがなんだろうが、お互いにとって必要な人間関係ならば伝えたい気持ちは伝わると考えている。
・伝統には3種類ある。①他に方法がないものと、②質が良く効率の良い手法だから残っているものと、③他に新しい方法があるけれど長らく愛用してきたからやめるのがもったいないもの。
・あくまでも僕の主観なのだけれど、年賀はがきは③の手法に該当するという感覚を持っている。
・だから僕は年賀状を1枚も送らない。
・年始のご挨拶は全てメールなどで済ませている。
・これを何年も続けていると、だんだん貰う枚数が減ってくる。
・しかし今年も数枚の年賀状が届いた。
・そうなると無視するわけにはいかないから、年始早々わざわざ年賀はがきを買いに行く手間が発生する。
・そしてその数枚だけのために宛先を印字したり、デザインしたり、挨拶文をしたためなければならなくなる。
・何の得もないことに辟易しながらも、そういう伝統を重視する人もいるのだから仕方がないかと返送を完了する。わざわざ送ってくれたということに対する気持ちはありがたいものなのだ。
・で、これで終わりというのならば、僕もこれもひとつの人間関係のあり方なのだから何も思わなかっただろう。
・数日後、年賀状のお礼のメールがきた。。。
・は?
・ならば最初からメールだけで良くないか?
・また年賀状のお礼を言ってきてくれたことに対する、お礼のメールを書いて送らなければならないのかと思うと、正直うんざりした気持ちになった。
・相手は関係を続けたいのか、切りたいのかどっちなのだろう。相手に無駄な時間や労力を使わせる縁が良縁だとは僕には思えない。相手の時間を大切にし、無駄を強要しないよう客観視するということを考えればメールだけのほうが相手のことを考えていることにもなる。とりあえず簡素な返信をしておいたが、そうまでして続けたい人間関係かどうかと問われれば、続けたくないなと思えてきた。
・そういえば、こういう相手はことあるごとに相談をしてくるけれど、こちら側から頼ったことなど一度たりともなかったりする。さらにいえば、その相談も自分でまず調べろよというようなことも多かったりする。
・ではなぜ無視しないのか?
・惰性と言わざるを得ないのかもしれない。
・こんなに毒舌を発揮しようとも、できる限り人間関係は壊したくないという小心者なのである。
(🄫nono-2021.1)