映画【グレイテストショーマン】のメッセージ♪

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※突然注意喚起!!※
 これは映画『グレイテストショーマン』を見た僕個人の感想です。
 文筆家でもあるため、作り手側の視点で作品を見るところと、純粋に受け手側・観客として見るところとが入り混じり、実に理解しづらい感想に仕上がっております。
 そこが、ザ・乃楽テイスト!!
 ネタばれには配慮しているつもりですが、所詮は乃楽程度の配慮なのであります。配慮って食べられるの? というレベルだとお思いくだされば良いかと思います。
 読む人によっては『面白かった!』というコメントですらネタバレにもなると聞きました。ネタバレお断りという方は、ここで本項を読むのを止めしかし珍話工房『のらの蔵』は引き続きご愛顧お願いしたいところです是非♪

主演はヒュー・ジャックマン
監督はマイケル・グレイシー

概要はオフィシャルサイトにてここをクリック

★【情報量の多い急展開の数々。そこにミュージカルを挿入することで短時間でシーンを描き切る!!】★
 映画などストーリーを提供する創作物は、とある人物の限られた一定の期間を表現するもの。
 確かに登場人物の生から死に至るまでの物語を描いているものもあるけれど、その人生の全てを描いているわけではない。始終しじゅうが生と死で結ばれているだけであり、人生のとある地点でのエピードを描き、それをつなげているにすぎないのだ。これがストーリーテリングの一つの性質であり物語の基礎構造となる。
 言い換えれば、その人物のどの時点での人生を切り取るのか、ということになる。この選択が制作者側のセンスなのだ。
 グレイテストショーマンの場合、序盤に『ラストシーンとして一作描けそうな感動シーン』が登場する。いわゆるぐっとくるシーンなのだけれど、これをメインシーンとして家族のサクセスストーリーに仕上げることも可能であったろう。僕はそう思った。
 これを贅沢にも導入部分に使うことで、観客を一気に物語に誘い込む。
 その、ほんの数分間の映像の中に詰め込まれていたのは、主人公が幼少期に味わった葛藤。その葛藤に立ち向かい→そして大人になり→家族を持つに至るまで。と、かなり長い時間の出来事を描かなければならないシーンだった。
 当然、観客に膨大な情報を短時間で提示しなければならなかったわけだ。この情報の提示ができなければ、登場人物達の心理状態が薄っぺらなものになり、行動とストーリー展開がちぐはぐになってしまうだろう。B級映画にしないためには、これは必須事項であったはず。
 グレイテストヒューマンは作品全体を通して、このような【膨大な情報の提示】と【限られた少ない時間】という制約を常に背負っているストーリーラインだったように思う。
 この制約に対し、急展開の数々にミュージカルを組み込むことで、この表現を見事に成功させていたと僕は思う。
 登場人物たちが無駄なセリフや無言むごんの間を必要としない。それぞれの心情を表現する曲調と、的確な歌詞を観客に突きつけることで、観客の想像力を半強制的にき立て、膨大な情報の細部を観客自身に想起させてしまうのだ
 人の心理とは不思議なもので、速く歩くと思考も速くなり、ゆっくり歩けば思考もゆっくりになるもの。突きつけられるリズムを体感することで、その速度で想像力が広がってしまうのである
 このミュージカルシーンに触れるだけで、僕は物語のあらゆる状況や性質のほとんどを理解できていた。次々に移り変わる展開に違和感なくついていけたのは、絶妙に挿入されるリズムのおかげ。もちろんその音楽が絶妙であったことは言うまでもない。

★【少ないセリフたればこそ、ひとつひとつの言葉の価値が高くなる】★
 前述したとおり、ミュージカルを挿入することで登場人物たちのセリフが歌詞に組み込まれている。そのため、登場人物たちの直接の会話シーンは比較的少なかったのではないかと思う。よって字幕を追うのは楽チン。
 さらに翻訳者の言葉選びのセンスが絶妙で、珠玉の言葉がそこかしこに散りばめられている
 とても綺麗な言葉を感じられる映画だったのではないかと僕は思う。

★【交錯する登場人物の、それぞれの現実と幻想、そして諦観】★
 まず主人公バーナムとその伴侶チャリティが相反あいはんする幻想と現実を抱えている。そのため、互いに幸せのために行動するのだが、残念ながらすれ違う。主人公バーナムは言わば『私と仕事どっちが大切なのよ?』という葛藤を突きつけられているような状態だったと言えよう。
 バーナムは家族の幸せには経済力が必要不可欠であるという現実をよくよく知っている。そんな現実を獲得するために、ショービジネスの成功という幻想の中で生きる道を進むのだ。
 一方、伴侶チャリティは子育てという現実の中を生きなければならない。しかし必要としているのは経済力という現実ではなく、ココロの繋がりという幻想である。
 俗っぽい言い方をすれば、
『私はあなたがいればどんなに貧しくても幸せ!』
『しかしそんな幸せも経済力無くしては継続が困難になることもある!』
 というのがバーナムとチャリティの行動の動機の全てであり、物語の欲求である。
 バーナムの興行がどんどん進むにつれて、両者の欲求のギャップがどんどん広がって行く、という構図である。
 そこに、この物語のテーマの逆説とでも言えようか『自分を見失う』という状態が用意されることになる。

★【THIS IS ME】★
 グレイテストショーマンを引っ張る、メインテーマソングのタイトルである。
 非常に簡単な英語だと思うかもしれない。事実、僕は、映画を見る前にこのタイトルを見た時、安易なネーミングだなぁと思った。
 しかし、映画に触れることで、このタイトルが果てしなく純粋なものであり、これ以外にはあり得ない深みを伴ったタイトルであったことを知る。
 前述したとおり、登場する人物のほとんどがそれぞれ『自分』と向き合わなければならない。向き合うことで見える『自分』は必ず劣等に満ちている。かなり辛い現実を突きつけられる。怖い。だから、見ないようにすることで、心を誤魔化す。
 独りではそんな『自分』と二度と向き合おうとは思わなかっただろう。けれど、身近な誰かが『自分』と再び向き合い、そして受け入れることを教えてくれる。そんな仲間が身近にいるからこそ『自分』も『自分』を受け入れようとする輪ができる。そこに力強い共感や共有という繋がりが形成され、さらに周囲に影響を及ぼしていく
 その過程で当然のように何度も何度も、自分を見失いそうになる。
 だから声高こえたからかに唄うのだ。
「THIS IS ME!」

★【救いを求める者にとって、その動機など些末なこと】★
 偽善という言葉がある。しかし偽善で救われる人があるのならば、その偽善は救われた人にとってはもはや偽物にせものではなくなるのである。
 現実社会でも『偽善だ!』と誰かの行動を否定する人達がいる。そういう人達はその物事とは直接関わっていない、関わろうとしない人達ばかりだ。
 主人公ヒュージャックマン演じるバーナムの動機は、いわゆるマイノリティとくくられる人達に救いの手を差し伸べることではなかった。
 言葉は悪いけれど、あくまでも『興行を成功させるために利用できるから』というものである。もちろん、全く心なく接していたとは思えない。バーナムという人間の誠実さは妻や家族に接する姿からよく伝わってくる。ただし、行動力と推進力が高いがあまり、視野が狭くなってしまうところがあるということ。それがゆえいつしか『興行の成功』という点にどんどん縛られ『冷静な自分』を見失ってしまうのである。ゆえに、不必要になったから人を捨てるというタイプの人ではない、と僕はバーナムの人間性を捉えている。
 そしてそんな彼の『彼自身のための動機』があったからこそ、新しい自分と人生を見つけ幸せを獲得できた人達がいるというところが、この物語の大事な点ではなかろうか。
 確かに、彼らはバーナムの当初の目的からすれば『利用された人達』となるのかもしれない。しかし『利用されなければ何も得られない人生だった』ことを多くの登場人物達は知っているのだ。
 この動機とその結果に触れた時、僕は大地震による被災のことを思い出してしまった(※僕が被災したわけではない)。
 芸能人が被災者を救うためにボランティア活動をすることに『偽善』『売名行為』だと否定する言葉がネットで飛び交ったのだ。それにより行動を自粛せねばならなくなった芸能人は多くいたことだろう。
 芸能人というのは一般人と違い多くの人に無条件に影響を及ぼす力を持っている。そんな芸能人が広告塔となり、被災者を救おうとする動きに推進力を与えるというのは非常に合理的であるし、そうなればどれほどの人が救われることだろうか。
 たとえ、それが売名行為であろうとも、救われる人が必ずいるということになぜ主軸を置けないのか被災者を救うという点が最も重要視すべき命題であることに、なぜ気づけないのだろうか。
『売名行為だ』などと否定的なコメントをし、芸能人の行動を鈍化どんかさせた人達が被災者に一体何をもたらしたのだろうか。
 理由とはそんなに大事なモノなのだろうか。
 救われる者と救う者の動機は、それほどまでに綺麗なものでなければいけないのだろうか。
 僕はそうは思わない。
 それが『偽善』であったのか『善』であったのかを決めるのは『救われた者』のみに与えられた特権なのではないだろうか。
 その他の者たちがどうこう言うことではない、と僕は思う。
 人が救われる理由など些末なこと。救われた者が勝手に感じることなのである。
 この映画はそんなメッセージを強く伝えてくれるような気がしたものである。

 そんなわけで、僕はこの物語を『葛藤と救いの群像劇だったなぁ』というふうに捉えています。
 もちろん物語の代表となる葛藤は間違いなくヒュージャックマン演じる主人公の過去に刻まれた劣等感です。が、その劣等感に付随ふずいするようにその他すべての登場人物の種類の違う葛藤が絡まりあってくるわけです。
 主人公の葛藤が1つの行動を生み、その行動に誰かが巻き込まれることで葛藤を再び蘇らせ立ち向かう。そしてまた誰かに影響を及ぼし、また新たな葛藤が生まれていく。その上で一人一人がそれぞれの自立を見つけていく
 今度こそは諦めるという道を諦めるという選択に立ち向かうわけです。

 是非、エンドロールに入る前に浮かび上がるメッセージを体感していただきたいと思います。

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