【エッセイ】短編を執筆することの、大いなるメリット

物語の最初の読者は決まっている。
著者自身である。
もちろん純粋な読者とは全くの別物というのは確かなこと。でも性質のすべてが全く別というわけではない。

構想段階のネタがはたしてどのような完成形になるのか、著者自身がまず他人事のように興味を持つものだ。
人によれば「このネタで物語を書けば、きっとめちゃくちゃ面白い物になりそうな気がする」なぁんてワクワクするくらい。
長編の場合、その好奇心を満たすには相当な時間がかかる。その間にその気持ちは薄まってしまいがちだ。
しかし短編は、今日頑張れば、今日どのような完成形になるのかを見ることができる。そう思えると筆が進みやすい。
近い場所にゴールがあると人は頑張れる。忍耐力があまりない人でも、モチベーションを保つことができる。これは大いなる強みである。

だから。
短編の1万文字は書けて、
長編の1万文字が書けない、
なんてことが起こり得る。

自分自身に完成を見せてあげる。
それがその後のモチベートにも繋がるし、何よりも、小さくともひとつの成功体験として積み上げることができる。

苦しんで長編を書き、完成させられないまま放置するようになるよりも、短編を一気に書きあげる方が色んな面でメリットがある。

それが僕の性質のようだ。

ただ、それは長編も書こうとしているからこそわかること。
それに長編のつもりで書いて完成させられていない状態の中にも、短編に流用可能なネタが落ちていたりする。だから、決して途中で筆を折ったとしても、ただ書き損になるというわけではない。
長編を書こうとしていたからこそ思いつくことができたネタもあると思う。だからこそ、これからも長編も書いていくつもり。
ただし、バランスは短編中心に、ということ。
(nono-typewrite)