御存じ、おやじは時として若人が総じて耳を塞ぎたくなるような稚拙な言葉遊びを披露する。世の中で最も攻撃性の強い精神波の一つだ。
その発言を耳にするだけでも辛いというのに、おやじは『自分自身で一番笑ってみせる』という援護射撃までをも抜かりなく行使する。
その精神波動の連続に耐えきれず、若人の中には気を失ってしまう者まである。そんな若人の状態を【無視】と呼ぶ。
このようにおやじギャグはなまなかならぬ天災として人々に畏怖を与えている。
しかし本当におやじギャグが悪いのであろうか。ただの思い込みにすぎないなんてことは有り得ないだろうか。おやじギャグと真剣に真正面から向き合えば、もしかしたら面白かったりするのではないだろうか。
そんな疑問を抱いた僕は、おやじギャグと正面から向き合ってみることにしたのである。その結果、一つの結論にたどり着くこととなったのである。
ここで、読者諸氏は今一度冷静になって考えてみてほしい。
信じられないかもしれないがおやじにだって若い頃があった。そのおやじが若い頃はギャグを言わなかったなんてことがあり得るだろうか。
否、あり得ない。
おやじになってから急にギャグに目覚めたのではなく、過去からギャグを言う癖があったからこそ、おやじになってからも言ってしまうのである。
若い時にギャグなんぞ言わなかった人はおやじなんぞにはならず、医者、弁護士、国会議員の秘書、おきあがりこぼしになるなど、歳を重ねても寡黙であり続けるのだ。
よって、おやじギャグは、昔笑いを取ることができていた若人がおやじになり、おやじになってもギャグを言い続けてしまっているということがその原因として考えられる。
若かりし頃に栄光の時があった。
栄光よもう一度。
そういうことである。
しかし、そんなおやじギャグを言うおやじの中に、異例分子が存在することをご存じだろうか。
ほんの少数派に過ぎないが、おやじのくせに面白いギャグを言ってのける奴らのことだ。おやじのくせに。
彼らのことをここではオモシロオヤジと呼ぶことにする。
彼らは闇に包まれしおやじ業界に、輝かしき一石を投じる救世主と成り得る存在なのである。
彼らが如何にしてオモシロオヤジ足り得ているのか、その原因を突き止め、それを全然面白くないおやじに注入してやれば、世の中が面白いことになるかもしれない。そう思った僕はオモシロオヤジを研究することにした。
その結果次のようなことが分かった。
オモシロオヤジは、総じて今日明日のテレビ番組でお笑い情報を獲得する努力を日々積み重ねていたのである。
なぜそのような努力を積み重ねているのかと言えば、彼等オモシロオヤジは過去に通用したギャグが、今は全く受けないことを知っていたのだ。
確かに一つのギャグの趨勢は持って二年。流行語大賞にノミネートされてしまったギャグなどはただの死亡フラグでしかない。そのことを熟知していたのである。
なるほど。
要は、おやじであっても、ちゃんとした正しい知識を有していれば、ギャグの質を見極めることができるということだったのだ。であればこそ、仕入れたネタの正しい剪定が可能となり、面白いギャグのみを披露することに成功していたのである。
このことを活かした対策として、おやじ教育機関の設立を文部科学省に提唱したい。
最後に、世の天災を分かり易く表現しているかの有名な名句を思い出してみてほしい。
ジシンカミナリカジオヤジギャグではないのである。
ジシンカミナリカジオヤジなのである。
なぜか。
そう、この名句がすでにおやじの全てを表現していたのである。
ギャグが悪いわけではない、悪いのは
【本項のまとめ】
どうでもいいよ。
(written by K.Mitsumame)
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