少し前にとある『頭髪問題』がニュースやワイドショーをにぎわせていた。
内容は生まれつきの茶髪を学校側が黒髪に染めるように強制したことにより、その生徒が不登校になったというものだ。
報道の作りからして明らかに『生徒擁護』の構成、あからさまに『学校批判』の形となっていたのが特徴だ。
街頭インタビューなどでは多彩な色に染髪した女性達に、マイクを向けて意見を求めていたくらいだ。
そんな報道の中で「私も学生時代同じ経験をして悔しい思いをした」という発言が多いことが印象深い。
というのも、僕も学生時代、頭髪について悔しい思いをしていたことを思い出さずにはいられなかったのだ。この機会に、珍話工房でひっそりと思いを告げようと思う。
男子の高校時代と言えば、自身の外見に敏感になる時期だ。そして、生まれつきどうしようもない自らの劣等に気づき、まず一度凹む。そうして未だかつて感じたことのない人生や社会の厳しさをここで噛み締めるのだ。
これが世に言う『大人への階段、歯を食いしばる一段』である。
その後、同窓生達の自分より劣るところ探しを経て「僕もアイツに比べれば捨てたもんじゃない」と立ち直る。そうして「まだ何もしていない。伸び白100%」をキーワードに、ファッションに目覚める。物で身繕うことで劣等を埋め合わせようという人生初の魂胆だ。
こうしてファッション雑誌で予習することもなく、読者モデルに相談することもせず、いきなり慣れないファッションに手を出すこととなる。当然、ファッションのなんたるかを理解していない男子学生は『奇抜=オシャレ』と曲解し、胸を張って派手なだけのダサい服を身に着けるのだ。いわゆる「あの人、毎日ハロウィン気分よ!」という恰好である。
そして、ダサい衣服と同時に行われるのが頭髪生成だ。
僕は髪の毛の量が多くふさふさだったのは良いことだけれど、悪魔的なくせっ毛だった。朝起きたら鳥が巣立ったあとみたいになる。
現在は空知英秋先生のおかげで、くせっ毛でも銀さんのような人気者になれることが証明されている。喜ばしいことだ。
学生にとって、頭髪はファッションの最大の試練であった。
だから僕は整髪料で誤魔化す手段に乗り出すことにした。
それが功を奏し、僕はダサい衣服と変な髪形を手に入れることに成功したのである。なんと、この時すでに『ファッションは自己満足』という本質に、何も知らない僕は本能的に辿り着いていたのだ。すばらしい才能の萌芽である。
さて、そんなこんなで周囲の冷たい視線を羨望の眼差しと勘違いすることで、意気揚々と過ごしていた日々。折しも、暗雲が僕の頭の上に広がったのだ。
雨。
体育。
その名の通り暗雲だった。
その日の体育はマラソンという予定であった。パラパラと降る小雨。酷い湿気と直接的水分の浸透は整髪料の敵であった。
僕は心の中で「もっと降れもっと降れ」と熱望していた。小雨ではマラソンが中止にならないからだ。
教室の席から空を見上げる僕。とってもけなげであった。
しかし小雨の状態は変わらなかった。
残念ながら残念な男熱血体育教師の「少々濡れる程度どうってことない!ガハハハハ」という判断のおかげで、マラソンは中止にならなかった。
さて、体操服に着替えた僕は、外に出る前に念入りに小雨具合を確認する。整髪料が勝つか小雨が勝つかを予想するためだ。もしも整髪料が負けそうならば、階段で転ぶ、お弁当箱をひっくり返して泣きじゃくる、目に唐辛子を入れてラピュタ的なラストを見せつける、などの手段を取らねばならない。保健室直行への大義名分を作るためだ。
しかし、僕が出した予想は、整髪料の圧勝。雲間から陽光が少し差し、雨が止みそうになっていたのだ。
体育の授業が始まり、マラソンが開始された。
そして…………。
おあつらえ向き。なぜか、そういうオチになるよね、というお決まりのことが起こった。
郊外へ出て、進むも戻るも数十分というところで、大雨が降り出したのである。
非常に無念だった。
結局、僕の頭髪は濡れた鳥の巣の様相を呈することになってしまった。
その時、本気で凹む僕に、豪快に笑いながら言った体育教師の言葉である。
「坊主にしろぃ」
唐辛子を目に入れておくべきだったと後悔して止まなかった。
あれ、なんでだろう、唐辛子入れてないのに涙が止まらない。
【本項のまとめ】
しかし、これでよく、不登校にならなかったものだと思う。
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