突然申し上げなければならないことがある。
実は、僕は天才だ。
どの分野についての天才なのかは今ここで言うことはできない。別の場所でも言うことができない。
ここでは、僕のように“天才”となり“天才”であり続けるための秘訣を語ろうと思う。
少しでも参考になれば幸いだ。
さて、前置きがとにかく得意分野で、ついつい長く素晴らしいお話ばかりをしてしまう僕である。そうして絶賛を欲しいがままにしているのだが、本項はいきなり結論から入ろうと思う。
【天才でありたければ、周囲と比べて秀でていれば良い】
あぁ無常。このテーマでの内容が終わってしまった感。
これが嫌だから、僕はたった100文字で説明できる内容を、ついつい10倍にも20倍にも引き伸ばしてしまうのである。前置き最高なのである。
そんなこんなで性癖がバレてしまってはいた仕方なしっ!!
開き直って無理やり続けてやろうぞ。
結論として提示した一文が意味するところは【天才の本質】は相対的評価(※)である、というところにある。噛み砕いて言えば、むしゃむしゃむしゃむしゃ。だ。
この素晴らしい論理を適用し、僕は“天才”であり続けているのである。
具体的にどのような方法を取っているのかと言えば、僕の場合、周囲をゼロにすることでそれを達成している。つまり僕が“天才”である以外にはあり得ない状況を獲得するに至っている。いわゆる孤独と呼ばれるものだが、僕は孤高と呼ぶことにしている。
しかし、遺憾にもそのセキュリティは割と脆弱なのだ。
というのも『人は1人では生きていけない』という忌まわしい性質から解き放たれることができないからだ。避けようとしても避けようとしても、どうしても誰かが僕の領域に踏み込んで来てしまうのである。
たとえば宅配便の人は避けようがないし、むしろお届け物が楽しみで仕方がない。野良犬もこちらが動くより速く近づいてくるからどうしようもない。よ~しよしよし♪ 蚊に至っては耳元で音がするばかりでどこにいるのか見つけられない時があるくらいだ。ぅあーもぅっ! ってなる。
このように周囲に1人(1匹)でも近寄るものがあれば僕の才能はあっという間に普通以下にまで滑り落ちることになる。だから、自らの能力を高める暇があるのならば、警戒心を高めることにしている。
がるるるる。
このように、僕のような“天才”であり続けるのは非常に大変なことなので、良し悪しだ。
ともかく、天才に憧れを抱き、自分を高めるために努力を重ねることは大切なことである。しかしそれで視野狭窄になってしまっては危険である。高すぎる目標に届かないことで自らの精神を疲弊させ、最終的に苦悩のままに落ちこぼれてしまい、人生に何の希望も持てなくなってしまうことがあるからだ。頑張ろうとしているのに、これでは本末転倒である。
それならば、努力する領域とは別に、自分が“天才”でいられるお気楽回帰点を1つだけでも作っておき、そこだけは絶対不可侵の領域として固持し続けることをオススメする。そこで他と決して混同して落ち込まぬよう色んなことから目を逸らす能力をたくましくすることに努力するのが良い。
これは“納得のいく天才”の“納得”という部分を妥協するだけで誰にでも簡単にできる、天才領域獲得法なのである。
【本項のまとめ】
(※)の説明をすっかり忘れていた!
相対的とは、何かと比べてということ。つまり同じモノでも比べるものによっては、価値が低くも高くもなるということ。ときに非常に曖昧な概念なのである。
この世のほとんどの評価が相対的なものであると言える。
反対語は絶対的。
ゆえに、たとえば【イチローの天才性は絶対的である】という文章があるとする。
まず相対的に導かれた天才という評価があり、その上で、それすらをも超越した絶対的な才能だった、という【天才の殿堂入り】的な意味合いを持たせた文章だと受け取れる。
あるいは、そもそも矛盾した表現とも言えるわけだ。この場合【イチローの才能は絶対的である】という文章に訂正される。
ちなみに僕は言葉を前者的に使うのに賛成の人なので訂正したくない(笑)
(written by K.Mitsumame)
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