みつ豆適当大明神はピンク色のボロ布を袈裟懸けしただけ、という風貌で、無謀にも若い女性が勇躍跋扈しましまするオシャレカフェに来ていた。
漂う蠱惑的フレグランスと、飛び交う魅惑の黄色桃色の声々。
そんな空間にいれば自ずと、心浮き立つというもの。
丸いテーブル。
向かい合う二つの椅子。
しかしながらみつ豆適当大明神はうつむきがちなのである。握りこぶしを作って両手を自らの太腿に押し付けるようにして、身体をぷるぷると震わせていた。
「みつ豆くんさぁ、君、向いてないよこの仕事!」
足を組んで上体をのけぞらせるような姿勢の男がぶっきらぼうに言い放った。男はチョビ髭のくせにパリッとアイロンの利いた真っ白いシャツにブラックのベストである。カフェの店長として、ベタベタなデザインである。キャラ立ち度外視!!
胸元の名札には『店長・天使』と記されている。
「えと、あの、どのへんがでしょか?」
ぷるぷる。
ものっすごい小さな声でみつ豆適当大明神が言う。この神様のどの辺に『大明』が存在しているのか、甚だ疑わしい。
「だーかーらさー。ぢゃあこれは何?」
店長・天使が持ち上げて見せたのは、
「聖杯です」
コーヒーカップである。
「何度言ったら分かるの? 聖杯って何?」
「せ、聖杯というのはそこに入れた水を、神的な液体に変え、」
「で、何、神的な液体って?」
「時に透明で、時に黒い」
ぷるぷる。
「ぢゃあ、この中に入ってる液体の名前は?」
「西太神カカリーナの血」
「だーもー、何そのオリジナリティ。そゆのは趣味で家でやってくれるかなぁ」
店長・天使が頭を抱えた。
「もちろん家でもやっております、ハイ」ぷるぷるしながらも得意気。
「知らねーよ。これはカフェラテ。当店の基本中の基本。こんなの覚えられなくてどうやってお客様の注文を受けられるのよー。だぁー」
「努力してはおります」ぷるぷる、「しかしながら西太神カカリーナの血を前にして、冷静を保つことが如何に難しいことか。だってそれを飲めばゆくゆくは髪の毛がふさふさに」
「だーかーらー、もー、あっち見て」
店長・天使が指さしたのは奥の席にひっそりと座る一人の男である。みつ豆適当大明神が振り向いて確認する。
「あのお客さん、かれこれ2年、うちに通ってくれてるの。毎日飲んでるの、コーヒー」
みつ豆適当大明神が驚き慌てふためいた様子で店長・天使を振り向いた。
「う、嘘だ。あいつ、ただのハゲじゃん!」
「こらっキミ、声がでかい」
見れば、奥のハゲが険しい表情で睨んでいる。
ごほん、と店長・天使が咳払いした。
「とにかくだね、君を雇うと決めたのは僕だし、僕にも責任があるから、あと一度だけ様子を見るけど、今度コーヒーカップを聖杯とか言ったり、カフェラテを西太神カカリーナの血だと言い出したら首だから」
ぷるぷる。
「ムムム。う~、は、はいぃ。わかりました」
「ん、じゃあ、がんばって!」
店長・天使がそう言って腰を上げようとした瞬間、みつ豆適当大明神がものすごい剣幕で立ち上がった。そしていつの間にか取り出していた魔法少女メルメルが持っているようなマジカルステッキを持った手を振り上げる。
そして叫んだのである。
「がんばってるっちゅーに!!」
許さない。
みつ豆適当大明神がマジカルステッキを振り下ろした。赤くキラキラと輝く軌跡が、宙に弧を描く。
そのレッドライトの軌跡に、周囲の美女もといお姉様達が「わぁ♪」と黄色い声を挙げた。
みつ豆、俄然、ヤルキ、ON!
「秘神技・ムカデゴキブリケムシインパクトーっ!!」
このカフェが倒産することになった。
50年後のことであった。
ムカデゴキブリケムシインパクトの影響かどうかは、誰にも分からなかったが、誰もが不況の煽りだとしか思えなかった。【珍話・完】
すでに頑張っている人に向かって、「がんばって」というのは失礼だ、という理屈なのだろう。
素晴らしい見解だと思う。
でも僕の内には馴染まない理屈だったので今のところ利用していない。違う考え方とは住み分ければ良いだけなので、批判することはお門違い。どちらが正しいということではない。
ただ、何にために「がんばって」という言葉をかけているのか、その理由を考えずに、この理屈だけを真に受けて、「がんばって」とエールを送ることを自粛している人はいないだろうか。
そのような人は今一度、「がんばって」と言葉をかけることの本質について考えてみるのも悪くないと思う。
スポーツの応援をしたことがある人や、それを見聞きしたことがある人がほとんだと思う。
たとえば野球やサッカーならばスタンドでメガホンを叩き、大声で応援歌を歌う。応援しているチームが良い展開になれば拍手し、飛び跳ねて喜ぶ。圧されればまたさらに大声を張り上げてエールを送る。
選手は、すでに背一杯頑張っている。自分の才能をフル稼働させ、ありったけの体力を駆使し、身体中を汗して頑張っている。
その上で、「がんばれー」という意味の歌詞を持つ応援歌やエールでの後押しを受けねばならないのだ。
もし本当に「がんばれ」という声掛けが、失礼で不必要なモノであるのならばスタンドからの応援は真っ先にこの世から排除されているはずである。
でも実際はなくなりはしない。また、そのことを批判する人もいない。
否、むしろ応援することは必要不可欠なものと認識されている。オリンピック中のメディアを見れば良く分かると思うけれど、日本を挙げて「応援してください」「応援しましょう」に肯定的な嵐である。
「がんばって、などと言ってはいけない」、という風潮を信じて自粛しがちな人が、そんなスタンドやメディアの中にもきっとあるのだろう。そこに不思議な矛盾点があることには気づかない。
では今度は選手側の気持ちで考えてみよう。
野球の場合などはバッターボックスに立てば、名指しでものすごい応援を受けることになる。
何度も言うが、この選手は人生を賭して真剣そのものである。頑張っていないはずがない。
では、応援を「失礼だ!」と思うだろうか。
簡単、思うことはまずないだろう。
それはなぜかと言うと、選手は応援の歌詞やエールに使われた語句などを聞いて、その歌詞や語句の意味を受け止めようとなんかしていないからだ。
では何を受けているのかと言えば『リズム』と『音』なのである。
『リズム』と『音』を受けることで、気持ちを鼓舞させ、前向きな姿勢にさせてくれる。
そこの意義があるのだ。
極論を言えば、だから歌詞などついていなくても良い。「わーわーわー♪」という大きな音とリズムを受けるだけで良いのだ。
では、なぜ応援歌には歌詞がつくのかと言えば、その場の空気をより良いものにデコレートができるから。
応援している人自身ももっともっと応援しようという気持ちになれる。
いわば全体的な雰囲気づくりである。
雰囲気というものは目に見えない漠然とした曖昧なモノだけれど、これが案外僕達人間には大きな影響を及ぼすので効果的なのである。したがって【お笑い芸人の珍妙な一生】を歌詞にして野球の応援歌にしても、その瞬間、選手は気付かずに前向きな姿勢になるかもしれない。けれど、その後気づいたら気になって仕方がなくなる。邪魔な雰囲気を生み出してしまうことになる。ゆえに、応援に使う言葉は邪魔にならない程度のさりげない、ありきたりな歌詞の方が良い。できれば意識して聞こうとせずとも、その言葉が先入観で『良いもの』という認識を得ている言葉を選ぶのが最善なのであろう。
僕達が日頃使う場合の「がんばって」という言葉は、気持ちを鼓舞させてくれるもの、前向きな姿勢にさせてくれる『音』『リズム』として定着しているのだ。
送る側も、受ける側もそういう認識をすでに脳裏に焼き付けている状態にある。だから『頑張る』という語句が持つ国語的な意味は、そこには存在してはいない。
言葉として、言葉を使っているわけではないのである。
「がんばって」と言われたから、【がんばらなければならない】という意味ではないのだ。ゆえに、そこに【あなたの頑張りが足りない】などという意味など生まれようがない。
それこそ「むーむーむむーむ♪」というリズムや身振りで、相手を鼓舞できる関係にあるのならば、「がんばって」とエールを送る意味や意義と同じで、正直なところなんだって良いのである。
しかして、「がんばって」という『音』と『リズム』はお互いにとってすでに分かりやすく、すんなりと腑に落ちる。邪魔な装飾がない。雰囲気を壊すこともない。
【がんばって!】
先人の方々が積み重ね定着させてくれた、もっとも端的で意義深い『応援歌』だとは、思いませんか?
僕はだから「がんばって!」と唄う。
もっとがんばれよっ、自分っ!!
と。
【本項のまとめ】
失礼なっ!!
がんばってるっちゅーに(*‘ω‘ *)b
ハイ、みんなもいろいろ頑張ってくださいね~♪(‘ω’)ノ
(※注:時と場合によって「がんばって」という言葉が、相手の精神を圧迫することがあることは事実です。大事なのはこの言葉そのものではなく、言葉を使う時と場合を見極めること)
written by K.Mitsumame
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