黒歴史幽霊同化理論に見る~黒歴史が存在するのは過去ではなく現在である~

エッセイ/essay

黒歴史幽霊同化理論に見る~黒歴史が存在するのは過去ではなく現在である~

その脳内模様は妄想か記憶か

ふと脳内に想起される情景は妄想か、あるいは記憶か。できれば妄想だと思いたい。正直に言えば思い込みたい。しかしそれが間違いなく自分の過去の記憶だという確信がある。覚えなければならない学術のことごとくを即断即決きっちり忘却するというのに、なぜ過去の羞恥的記憶は薄ぼんやりすらもせずはっきりと覚えているのだろうか。不公平だ。こんなことならば……そう、こんなことならいっそ試験問題にしてくれれば満点を取れるというのに。なぜこのような私的超自治問題を国家資格試験に出してはくれないのか。しかし否、僕のそんな羞恥的過去を問題形式にして受験生にばら撒かれてはたまったものではない。ここは資格試験関係者および、試験制作者の英断を認めねばなりますまい。ありがとう。

無人島に持って行くとしたら『黒歴史』か『幽霊』か、どっち?

このような、思い起こされるたびに負の感情がぷっくり隆起する記憶のことを『黒歴史』という。
当時ほどではないにせよ、相応の精神的苦痛が時を経た今も胸中を襲ってくるものである。これには、ぐぬぬぬと人知れず歯を食いしばって耐えるか、耐えきれず枕を濡らすか、普段はしない過度の筋肉トレーニングをして肉体疲労で思考を鈍化させるか。絨毯の縫い目を指でなぞり続ける、という方法も一部の人には有効であろう。いずれにせよ何らかの対処を迫られる。
「なにを今さら」と自分自身で理解し、「どうしようとも過去は変わらないんだし」と納得もしているはずなのに、もんもんもやもやとするのである。そう、黒歴史とはもんもんもやもやなのである。すでに実体のないもの。それはまるで記憶という名の幽霊みたいではないか。
では黒歴史と幽霊との違いは何か。それは「確か」か「不確か」かである。黒歴史は自分にとっては確かな記憶であり、幽霊は人類にとって不確かなのである。
こうして両者を並べてみて、果たして『黒歴史』と『幽霊』のどちらの存在がマシだろうか。こう自問自答するといい。
無人島に持って行くとしたら『黒歴史』か『幽霊』のどっちか。答えは簡単、どっちも勝手についてきます。残念無念。

黒歴史幽霊同化理論

そんなわけで『黒歴史』は『幽霊』になりにけり、なんて結末を迎えるつもりはございません。ここでは黒歴史の扱い方を、幽霊の扱い方を参考にして考えてみようと思う。
人の幽霊の扱い方は案外雑なものである。人は幽霊に対して恐怖に戦慄する心理を有しているというのに、そのくせ扱いは雑なのだ。どんなふうに雑なのかというと、もはやシーズンもののエンターテイメント素材にしているくらいなのだ。恐れ多い。こんなではいつか百貨店がバーゲンで幽霊を並べる日がきてもおかしくはない、こともないのは確かなのだけれど。
しかし、実際、深夜の山奥の廃病院に1人で行って三階の角部屋にはんぺんを置いてこれる人は数限りなく少ない。よって人は幽霊をエンタメ素材にしつつも全然まんじりとも幽霊を克服できてはいないのである。これは人前では自分の黒歴史を「わはははは」と笑って見せ、しかし同じ黒歴史を扱っておきながら1人の時は肩を落とし絶望しているのに似ている。
これら黒歴史幽霊同化理論の是非はさておき、ある時は幽霊をエンタメとしてもてあそんでおきながら、ひと気のない夜の小道に戦慄したりする。この幽霊に対する不安定さというか、不確定さと同じ性質のものが黒歴史にもある。
同じ過去を見ているのに、ある時は嫌悪を抱き、またある時は笑いのネタとなる。一度笑いのネタにできたとしても、また嫌悪を抱くものに逆戻りもする。かように黒歴史も不安定であり、不確定に扱われるのである。

怨念が幽霊となるように、邪悪が黒歴史となる

なにが自分史を不安定なものにしているのか。答えは簡単である。自分史を見ている今の自分の不安定さが、そのまんま投影されているだけのこと。
今が充実し満たされていれば自分史はどのようなものであっても「今を作ってくれた礎」と思えるもの。それがどれほどに羞恥に満ちた過去であっても笑いのネタとなる。それすらも「今の充実」を得るには必要な経験であったんだと。
逆に今が不満でどうしようもなければ「今はその過去のせい」となる。それは過去の記憶に現在の不満も加味されてより一層邪悪なものとなる。怨念が幽霊となるように、邪悪が黒歴史となる。要するに過去を悔やんでいるように見えて、実際は今を悔やんでいるのである。これが黒歴史の本質。つまり黒歴史は過去にあるのではなく、現在にあるのだ。

不都合の原因は今のみに求めよ、しからば黒歴史は黒歴史足り得ず

『過去は変えられない』とは良く言われる言葉である。あまりにも言われすぎてそれが真実の言葉であるように感じられるのかもしれないけれど、正しくはない。こともないんだけれど、過去はすでに記憶という無形のものに変換されたデータなので都合よく書き換えることができます。はい。データ改竄や嘘はいけません、とは言いませんが、そうしたところで本心では真実の黒歴史を知っているのだから、どのみち邪悪な気持ちとして復活するもの。なので改竄や嘘はお勧めはいたしません。
では、ここでいう『書き換え』とはどういうことかというと、過去とか黒歴史とかどうでもいいから今現在だけを考えて、今現在のみの環境だけを利用し、今をそこそこ満足のいくものにしよう、ということである。その際、不都合が生じてもその原因を過去に求めてはいけないということ。なぜならば現在の不都合の原因を過去に求めることを『黒歴史』と呼ぶからです。
不都合の原因は今のみに求めよ、しからば黒歴史は黒歴史足り得ず、なのです。
そうして今がそれなりになれば、かつて『黒歴史』と思っていた記憶は、ただの思い出に書き換わるというお話。

まとめ

もしも『白歴史』なるものがあるとすれば、聞かされる側にとってはそいつの『自慢話』にしか聞こえないんだろうなぁ。

15th.October / written by K.Mitsumame

コメント