フカヨミストとは何か!!著者・乃楽がとうとうその真相に迫ることに成功したっ!!

Facebook にシェア
Pocket
このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る

あなたは水深2メートルをどう思いますか?

カッコイイと思う、という人は、その斜め上の発想力をクリエイティブな分野で是非発揮して頂きたい。間違いなく分野さえ間違えなければ天才肌だっ。
しかして、この場合は『浅い』か『深い』かの問いである。
いわゆるカナヅチの人には『深い』と感じるだろうし、スキューバダイビングが大好きな人には『浅い』と感じるだろう。
同じ水深2メートルであれ、それは感じる者によって評価は真逆となる
これが『浅い』『深い』という感覚の本質である。

さて【深読みしすぎな人】というのがある。
読者諸氏の身近にも存在するのではないだろうか。

何を隠そう、僕がその『深読みする人』らしい。
「深読みしすぎっ!」と言われることが頻繁なのだ。確かに、類まれな深読み力を発揮して理屈をこねくり回すことで出来上がるのが、このブログのエッセイである(過去の記事参照:宣伝デスけれど何か?)。
すると、僕のことを『フカヨミスト』と評価する周囲の目は確かだと認めざるを得ない。
しかしながら極めてひねてくれているのが僕の数少ない美点の一つである。
簡単に認めてなるものかっ!!(認めざるを得ない、とか言ったばっかりっ!!)

「深読みしすぎ」というのはどちらかと言えば、否定的な意味合いで使われている。
「そんなに考えるな」という助言的なニュアンスを含めて使われるのだ。

とある知人は、さんざん僕に向かって「深読みしすぎっ!」と言うことで、その性格的評価を公言しているのに、いざ初対面の人に僕を紹介する際に「深読みができる聡明な人なんですぅ♪」という紹介をしてはくれない。残念で仕方ないが、嘘をつけないその知人の真っすぐなところを責めることもできない。

さて、これが褒め言葉として使われる場合は『読みが深い』という形に変わることにお気づきだろうか。
深読み』も『読みが深い』も理屈をこねくり回して思考の段階を深めているだけのこと。実際は全く同じ状態なのである
ではなぜ、同じ言葉を使っているのに、肯定的なものと否定的なものとで使い分けることになっているのだろうか。

これは『結果』に依存しているがゆえの使い分けなのである。
このことを説明するあたって、当サイトでは頻繁に扱ってもいる競馬の話を使うことにしよう。

たとえば、ある男が出馬表を見て一瞬で目にとまった馬が1頭いた。理由は分からないが、どうしてもその馬が1着にくるとしか思えない。神のお告げを受けたかのような、あるいは未来視ができたかのような感覚に、背筋に鳥肌が立つ。
こんな奇跡的な感覚は、二度と訪れないかもしれない。
この機会を活かすことと、のがす先に見える未来の自分の姿はまるで違う。
男は借りれるだけの金をあらゆる消費者金融から借り、その馬に全額投入した。
当たれば4億円になる。
そしてレースが始まる。

この男を、多くの人は『浅はか』だと評価することだろう。それは『当たるわけがない』という結果を想定したり、あるいは『当たる可能性は確かにあるけれど、リスクが大きすぎる』という結果を見据えるからこそ、『浅はか』という評価を下してしまうのだ。

しかし、この男が身近な人であり「4億円当てたったでぃ!」という自慢話を聞かされてから、それを買うに至った経緯を聞けばどうだろうか。
その行動の真似はできないし賛成もできないかもしれないけれど『浅はか』という単調な評価を下すことはしづらくなるはずである。
僕ならば分け前を求め、間違っても『浅はか』なんて言えない。「すごいすご~い、あなた様は天才デスッheyhey!」を連呼する。胡麻スリべた褒めヨイショヨイショに余念を残さない徹底ぶりだ。だって、分け前ほしいもんね♪
このように結果次第では、経緯に対する評価など、いかようにも変わるのが世の常なのだ。

一方で、男から「消費者金融からお金を借りる寸前までいって、でも怖くなって買うのをやめた」という話を聞いたとしよう。
この場合は、「それが正常」「あたりまえ」と、どちらかと言えば肯定的な評価を下すはずである。しかしレース結果は男がビビビと来た馬が1着になっていて、もしも男があと一歩進んでいれば4億円当てていたという結果も同時に聞いていたならばどうだろうか。
もちろんそれでも買わないことに肯定的な気持ちはあれど、ほんの少し『もったいないなぁ』なんて気持ちを抱く人も少なからずいるのではなかろうか。

さらにこの男が『父親がどうしようもない奴で、2億の借金を息子であるこの男に残して世を去った。この男には妻子があった』という不幸な現実の中にあり、もはや生命保険を当てに死ぬか、妻子に負担増のリスクを背負わせる可能性がある上で買うか、の2択で悩んでいたとしたらどうだろうか。
このことを男の遺書で知ったとすればどうだろうか。

神様はなんていじわるなんだろうか、とは思うまいか。せめて、違う馬が1着になっていれば『買わなくてよかったぞ』って思えていたのに、と。

同じ経緯をたどろうとも、思考の深さに対する評価は、結果やエピソードによって、肯定も、否定もされるようになってしまうのだ。

そして『深く思考をし、色んなことを事前に想定すること』の結果は、偶然や運に委ねられることが少なくない。
結果論、良い結果が出ることがあるだけであり、ちょっとしたことで大失敗につながるような微妙なことばかり、という事象が世にはありふれている。
たったそれだけのことなのに『深読み』という否定と、『読みが深い』という肯定に、評価を真逆にするというのは辛口すぎるのではなかろうか。

『読みが深い』と思っている人も、『深読みしすぎ』と思っている人も、二人とも全く同じ思考過程を持つ人であるかもしれないのだ。
出た結果が違うだけのことで。

僕はなぜか『深読みしすぎ』と言われることが良くある。
なぜだか自分では分からない。
なぜだろう。。。

結果が違うだけのことで。
結果が違うだけの……。
結果が違う……。
「んっ?!」

【本項のまとめ】
え、僕ってそんなに失敗ばっかりしてるってことっ!!
ヤベ、自覚なかったぜぃ(; ・`д・´)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。