お願いのメカニズム!! 大切な人間関係を壊さないために♪

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「お願いをするくらいならば自分でやれ」というには人の一生は短すぎる。あるいはその物事を必要としている期間が短すぎるというのが正直なところ。
だから自分に無いモノを持っている誰かにお願いすることになる。その方が効率が良いし、目的を達成する可能性が高くなる。また楽だから、ということも言えるだろう。
いずれにせよ『お願い』という行為は僕達人間が生きていくうえで、より良い人生を作るための合理的なシステムと言える。

しかしながらお願いで得するのは依頼するほうばかりであり、される側が得するケースはそんなにない
というのもお願いに応えることに対して、物品や金銭による対価が発生する場合は『お願い』とは言わない。間違いなくただの等価交換、つまり売買契約である。

お願いとはどちらか片方に損得が偏るものたればこそ『お願い』となるのである。
言うまでもないが、得が依頼者に偏るようにできている。

そうであればこそ、依頼者はお願いをする際に、相手に対して最善の配慮をする必要がある
しかし、残念なことなのだけれど、多くの依頼者は『自分のお願いをどう伝えるのか』にばかり思考を迸らせ、相手のことを考えることを怠る傾向にある。

ある程度身近な人だからこそ『お願い』の対象となっていることだろう。そこには少なからず情という関係性があり、であればこそ受け手はどうあろうとも『断りづらい』という前提条件の元、依頼されることになる。
当然のように、もしも断る際、相手のことを気遣うことになる。
情がないわけではない、ということを伝えつつ依頼者が納得してくれる理由を言わなければならないような気になってしまうのだ。
だから、受け手は『依頼者』の気持ちを色々と考えることになる。お願いを引き受けられない後ろめたさを感じつつ、なんとか嫌な気持ちにさせないように気遣うのだ。


このように、依頼者は『自分のこと』を考えるからこそ『お願い』をする。受け手は受ける場合も断る場合も『依頼者のこと』を考えて行動する

どちらもベクトルが依頼者側へと向くようにできているのだ。
これがお願い』システムの心臓なのである。

どう考えても依頼者に都合良く力が働くようになっているシステムだからこそ、依頼者はお願いする際に、自分のお願いを通すことよりも『どうしたら断りやすいのか?』ということもよくよく合わせて考えておく必要がある
依頼する相手が身近であればあるほど『仲が良いから』という手抜きを適用しがちである。身近であればあるほど大切な人であるのだから、余計に『仲が良くても』という努力を抜きにしてはいけないと思う。

『お願い』には『断りやすさ』を考慮することが、人間関係を円滑にする一つのポイントではなかろうか。

さて、ここからは具体的な『お願い』の例を挙げて、いかに僕達が『お願い』を間違って使い、その関係性に亀裂を走らせるに至っているのか、ご理解いただきたいと思う。
では。

【星に願いを】
誰もが一度は耳にしたことのある名文句であろう。
もしも星がお願いを叶えてくれたとしても、僕達が星にお返しすることは絶対にない。最初からそんな腹づもりの人間なのである。星もそのことを良く分かってらっしゃる。
星がお願いを聞いてくれず、いつまでも星が遠い存在であるのは僕達人間がその関係性に亀裂を入れているからだ。
これからは『星に願いを、そして星よ、あなたのお願いは?』と互いの得を考えるようにすれば星との関係性は修復するのかもしれない。そうすれば『死』という形を以って、星に近づけるのだろう。なにこれ、イイ話?

【神様お願い】
誰もが一度は耳にしたことのある名文句であろう。
もしも神様がお願いを叶えてくれたとしても、僕達はそもそも神様が一体どこにいてどんな姿なのかも分からない。そのことを都合の良い理由とし、お返しをするつもりなど最初からない。
こんな人間の浅ましい利己心を神様はお見抜きなのであろう、不運という形で人間に八つ当たりをしてくる。

人が神様にお願いをすることをやめれば、もしかしたら地震雷火事親父という天災はなくなるのかもしれない。
しかし、全人類がもれなく神様にお願いすることをやめる時とは、それは人類が絶滅した時であろう。よって『天災』という概念も存在しなくなる、というひねくれ者・乃楽のへ理屈が成立した。お見事、そしてお許しあれ(笑)

【一生のお願い】
誰もが一度は耳にしたことのある名文句であろう。
計算され尽くした略語である。
本来はこの文に『一度の』という言葉がつくことになっていた。しかしそれを省くことにより【何度お願いをするのか】という依頼者にとって都合の悪い部分の明言を避けることに成功している。

つまり『一生』とは『生きている間の全て』という意味に取って変わるため、結果『生きている間のお願い』ということになる。
そりゃ死んでからお願いすることはできないのだから、この文言はつまり『より私にとって都合の良いお願いですが何か?』という傲慢な気持ちの現われ、ということになる。
この事実にお気づきであっただろうか?
この名文句を前置きに知人などがお願いをしてきた場合は、ようよう気を付けたし。安請け合いをすれば痛い目を見る可能性が非常に高い。

【僕からのお願い】
面白くなくてもすごく面白いですぅって言ってください。一生のお願いですからね(笑)

【本項のまとめ】
ほらね、さっそくこのブログを読んで『時間を無駄にした』なんて痛い目をみたでしょ♪
だから得るものなんて無いって言ってるのにぃ~(*’▽’)b
だがそんな愛すべき読者様、最高デスっ!!

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