不審なオジサンに限ってまともな正論を言いがちだから、むしろ受け入れづらくなるから空気読モ♡

尊敬している人と大嫌いな人が同じ発言をしたら?
という考え方を誰かの意見や、発言に当てはめて考えると、言葉の本質を見抜くヒントとなります。

こんにちは、そしてこんばんは乃楽です。

たとえば身近な人に、読書から得た崇高な論理をそのまんま披露するのだけれど、苦笑いしながら否定的な意見を返されるのはどうしてなのでしょうか。
簡単です。
僕がポンコツだからです。
イイ出汁でてます!!
それトンコツなっ(>_<)/

古風なネタをひとつ挟んだところで、話の筋を元に戻しまして。

要するに、だから僕の場合は、相手が尊敬している人をあらかじめリサーチしておき、「実は誰それの意見なんだけどね」と付け加えると、意見が通りやすいのでそうしています。ちなみに、ほんとうに尊敬している人が言った意見なのかどうかという点は些末なことです。あとで100円あげるから言ったことにしといて、と懇願すれば済む話なのです。
小賢しい。
しかし小賢しいとは、賢しいんだから馬鹿ではないのです、馬鹿っぽいだけで。

このように、意見や発言というのは、どんな人物が発したものなのか、というところに重点が置かれがちなのです。

このことに対して、「大事なのは内容だろがー!」と、声を大にしたところで、人の性質というか本能に近いところに依存していることなので仕方がないというもの。
「大事なのは内容だろがー!」と、声を大にしてヤイノヤイノ揉めるくらいならば、この性質を上手に利用することを考えた方がええじゃないか、ええじゃないか?

では、こんなのはどうでしょうか。

そいつは、皆に向かってとても大切なことを言ったんだ。
「美容とは、生まれ持った資質を最大限に高める行為なのです。それは必ずしも外見を磨くことだけではなく、内面を磨くことでも高めることができるのです」
そいつの名は、大和撫男雄三。
ヤマトナデオユウゾー。
51歳、職業は自宅警備員である。彼は警備をはじめとする仕事全般が苦手なのだけれど、自宅の警備にのみ並々ならぬ天才性を発揮している。
彼の自宅は閑静な高級住宅街のある日本の中の、閑静な高級住宅街が近くにない場所にある。そこは縄張りとしている公園の土管であった。ダンボールやブルーシートを確保しなくとも風雨をしのげる、まさに公園内一等地、高級住宅街的な土地もビックリである。そんなギョウテンなところに居を構えることができているものだから、彼はエライのである。というか、偉そうなのである。
どこにそんなに栄養源があるのだろうか。どうやってそれほどの栄養源を獲得できているというのだろうか。
大和撫男雄三の体躯はなんと100キロを超越ス。
口髭はたくましく、言い換えれば伸び放題で不潔で、頭皮は赤裸々である。言い換えればハゲであった。
そんな彼が初秋の早朝、とても爽やかな陽気の中で、凛と腕を腰に、仁王立ちして『美容とはなんぞや!』について、大言壮語したのであった。
彼を取り巻く観衆は、なにを隠そうハトポッポであった。なにをも隠したかったのだけれど。
「「「「「ぽっぽろぽー」」」」」
その歓声は称賛か、賛同か、あるいは批判か、豆がほしいか、のどれかであろう。
しかしながら一般的に、そして客観的に考えてみれば、肯定、共感の類の評価は頂けていないはず。なぜならば、彼がお年頃のオッサンであり、無職であり、なおかつ不潔であり、さらに見栄っ張りな頭皮なもんだから、どれほどに高尚で含蓄のある見解を述べようとも、誰も聞く耳を持ってくれないのだ。相手がハトッポッポでなくとも、である。
と、公園の入り口である。
そこにそいつは突如として現れた。
ゆっくりと大和撫男雄三のそばに近づいてきた。
スラっと引き締まった体躯、伸びた背筋、フサフサの毛はキメ細やかでゆるやかな風にふわりとふくらんだ。その毛は、全身がオシャレで完成されていなければどうしてもアンバランスになってしまう難しいアッシュカラーであった。生まれつきそうであった、とでも言わんばかりの自然さ、違和感が全くない。全身から高貴な雰囲気が漂い、見るものに威圧感すら与える。空気そのものが緊張するかのごとく。
表情はシュッとシャープで、切れ長の瞳が鋭い。その眼光は、高い知性を感じさせるものがある。何者にも媚びない強さをも感じさせる。
これを俗な表現で評価するとすれば、スタイリッシュでカッコイイ。カリスマ性とアイドル性を同時に帯びた、生き動く造形美である。
おそらく、口腔から何を発されようとも、誰もが身の毛立ち、立ちすくむことだろう。それくらいに圧倒的なものを感じさせる。
大和撫男雄三と真逆の存在。
そんな二者が公園の一角にて相対したのである。
もしも、この者が先の大和撫男の発言をそのまま言ったとすれば、聴衆はどのような反応を示すのだろうか。
そんなもの答えは明確である。
【美容とは、生まれ持った資質を最大限に高める行為。それは必ずしも外見を磨くことだけではなく、内面を磨くことでも高まる】という見解が疑われることもなく、浸透することだろう。共感され、称賛されることだろう。
しかし、実際はそうはならなかったのである。
なぜか。
「おぉぉ、ポチ、今日もお散歩かい?」
残念ながら、いくら高貴な雰囲気をまとい、スタイリッシュでカッコよくとも、犬は言葉を発することができないのだ。
名前、ポチ。雑種、シベリアンハスキーの血が濃いめ。オトコノコ。
初秋の早朝、気持ちの良い朝、すがすがしい公園。
ハトポッポたちはポチの威圧感におびえるようにして早々に飛び去っていた。

このように、不審なオジサンに限ってまともな正論を言いがちだから、むしろ受け入れづらくなるから空気読め、と若者の中には言いたい人もいるに違いない。このようにって、どのように?笑

どうして最初の問題提起すら回収しない、これほどに論点がズレにズレた文章になってしまったのでしょうか、不思議なものです。ではまた。
(2019.10.7-typewrite)