先週はこんなことがありましてvol.11




問を受けました。
「子供ってどう思う?」
漠然とした質問なのであります(笑)
なので「わからんばい」と答えました。
すると「じゃあ、どういうのが子供と思う?」と聞かれたので、
「あなたみたいな人」と答えると、
質問者がぷんすかと怒りました。
「ほら、そゆとこ」と指摘すると、
「こんなことで怒るわけないしっ!」と突然の余裕綽々でした。
子供心を共有した過去を持つ、いわゆる幼なじみなお友だちです♪

『傷痕』50ページ付近。
1日2ページ平均という僕史上最大の遅さです。
とりあえず開いたページを読んで、ページをめくって栞を挟んだら閉じる。
面白くないからではなくて、時間がないから。
本当ならば、時間がたっぷり取れるときまで本棚にしまっておいて、一気に読むほうが良いのだろうけれど、ちょっとでも良いから読みたいという、むしろ期待値が高いからこその行動なのでした(‘ω’)ノ

ランスパン。
ベーコンエピ。
メンタイコフランス。
ヤメラレナイ。
フトルノラ。

章を書いていると「おっ、なんだかめちゃくちゃ良い文章が書けてる」なんて感じることがあります。また逆に「なんだか上手く書けてないんだよなぁ」なんて感じながら書き進めなければならい、なんてこともあります。
しかしこの両者真逆の感覚で書きあがった文章を、しばらく時間をおいて読み返してみると、どちらも似たようなものなのですよね。
要するに、書いている文章の内容や質に関係なく、書いている時の気分で良くも悪くも感じているということなのでしょう。
気分の良い時に書けば明るい文章になる、気分が塞いでいる時に書けばどことなく暗い文章になる、なーんて思ってしまいますが、実際はどんな気分の時に書いても似たようなものを書いてしまうようです。
これはたぶん、特定の個人を相手にしたメールなどの文章とは違うからなのではないか、なんて思ったり。
メールは自分から相手という1対1であるのに対して、ブログなどの文章は自分を客観して、その客観した自分が発信しているという幽体離脱執筆みたいな感覚。自分自身と少し距離をおいて書いているというような感じがするんですよね。難しいですよね、この表現(笑)
つまりメールなどの文章は感情がそのまま文体や内容に現れるような気がするわけで。
そう考えると、当たり前なのですけれど、やはり記事や小説の文章と、メール作成というものは全く別物で、使う脳の部分が違ったりするのかななんて。
だからどうした、というお話なのですけれど(*’▽’)www

常の出来事について、ある程度定期的な発信をしているとこれまでの記事内容とは違うことを書かなければならないなんて思うことがあるかもしれません。そうなると日々の中で違うことをワザと作ろうとしてしまいがちになるのかもしれません。そうなると違和感のあるような行動、取ってつけたような行動を取らなければならず、それは果たして自分発信と言えるのか、というジレンマが生じるのかもしれません。そういう作り物を極めれば芸の域に達するのでしょうけれど、それはまさにクリエイターという職分であり、いわゆる『生みの苦しみ』に苛まれてしまうのかもしれません。発信内容そのものは和気あいあいとしていても、裏ではものすごく苦しんでいる、という。
幸い、僕は何もなければそれはそれで毎週同じでもいっか、くらいに思っているので生みの苦しみというほどのことはありません(ブログ記事に関してはですが(笑))。
というわけで、代り映えのなさが売り?笑
ブログ開設当初から『役に立たない情報発信』というテーマを掲げているので、まぁそりゃぁそうなりますよね。悪しからず悪しからず(‘ω’)ノ
(2019.2.22-typewrite)