先週はこんなことがありましてvol.1

2018年12月11日




いつもの馬券の反省に替えまして~(笑)
と、言いますのも、毎度なんとなく思っていたことがありまして、競馬の結果はすでにJRAホームページなどで赤裸々であるわけですから、それをナゾるだけというのもなんだかなぁ~、と。
そこで、競馬も含めたその週のマイ出来事を絡めることで反省記事を水増ししようという浅ましい魂胆なのです。

ココに深く浅ましい魂胆が!! え、深いの浅いの? 日本語はヤヤコシイ!!

 

みなさんはバタフライ効果というものをご存知でしょうか?
日本のどこそこで小さな蝶が羽を動かしたことで発生した微風が、さらに別の何かに干渉し、それが延々と繰り返され、荒波を動かす大きな風となり、やがてアメリカのタイフーンとなった、という論理です。
これが示すところは『大きな物事もほんの些細な原因による』だったり『何が原因となっているのかは分からない』ということだったりするわけです。
さて、年末ですね♪
年末と言えば忘年会ですが、僕は団体行動が苦手なので忘年会にはあまり積極的ではありません。
ですが、年末が醸し出す雰囲気の中で誰かと食事することにやぶさかではありません。規模の問題でして(笑)
ですから知人と「ご飯でも行くかぁ?」なんて話にはなったりするわけです。
ただし、それもテキトウなもので、まず口先八寸なのです。実際に『ご飯に行く』という決意というか実感のようなものがない状態で言っているだけです。
それでも口に出すことで話が進んでいくことがあるもので。
次に「誰か呼ぶ?」という話へと進み。「まぁ誰かいるなら」という軽~い感じになるわけです。
で、しばくしたら知人から連絡がくるのです。
『今のところ16人』
は? え?
今のところ・・・・・・。
じゃなくても十分に想定外。
僕は3,4人くらいの感覚でいてましたから・・・たったの16人で何言ってんだか、とある人は思うのかもしれませんが、僕にとってひとつのテーブルに座れない以上は大所帯扱いとなり、大所帯となると途端に呼吸困難的気分が芽生えてしまうのです。ひぃぃぃ。
これは呼んだ人がまた別の人を呼んで、ということが繰り返され、予想外に膨れ上がってしまったという結果なのだそうですハイソウデスカ。
これがネズミ講ならば何もせずしてぼろ儲け!! 僕はウハウハなのでしょうけれど、ムホムホです。予定外の雑務をしなければならなくなってしまうのですから。
お店の予約ですね。
16人もいれば何かと条件が付くもので。しかも週末予定とキました。
忘年会シーズン真っ只中です。すでに目ぼしいお店は予約が埋まっているもので、実際何店舗か断れたりも。
このお店もまたダメだったかぁ、とため息をつきながら電話を切る時にふと思うのです。
確かに最初の発言は僕かもしれないけれど、それは日常的な「ご飯行く?」です。相手は気心知れた知人でしたから、これはいつものことです(笑)
それが僕の知らぬところでそこそこ大所帯の忘年会に膨れ上がったとして、それは僕が言い出しっぺなのだからと幹事をしないといけないことなのん? と。
忘年会シーズンであることを失念していた僕の責もあるでしょうけれど、でも、日頃の「ご飯に行く?」という言葉にまで【今はどんな時期でどういう結果になることが予想されるのか? そしてその対策は?】などというリスクマネジメントをするほど気を張っていられるものでもなく。
ただ、そうは言っても『参加したい!』と言ってくれる気持ちはうれしいものなのです。間違っても『そんなにたくさん来られたら困る!』とは言えません。この時期ではなくそれぞれ個別にコジンマリと、ならばどの人をとっても、ご飯に行ってバカ話に花を咲かせたいなんて思える人たちばかりですから。
たまたまこの時期にみんな同時に手が上がっただけ、にすぎないわけで。
そんなわけで、バタフライ効果を実感しました。
これからは言い出しっぺにならないように、どんな発言も相手に言い出させるよう姑息な作戦を常に心がけたいと思いました。
たとえばこんな感じ。
僕「あー、えー、うー、ごほんごほん、なんだか喉の奥が、ガラガラするなぁ~するなぁ~するなぁ~、するって言ってんだけど?」
知人「うん、聞こえてる」
僕「あー、うー、このままじゃあ、ごほん、声が、ごほん、濁音まみれのがばびぼぶべばびびぼべ」
知人「何言ってるか分からん」
僕「がばばびびぼべ」
知人「はぁ~?」
僕「だーかーらー、お腹空いたつってんの!」
知人「あ、そう。じゃあご飯でも行くか?」
という具合に。
これでバタフライ効果が発生したとしても「お前が言い出したからなぁ、お前がぁ~」と大言壮語できるわけです♪ ウハウハです♪

 

芸人さんが大御所芸能人さんの悪口を言ったとしてメディアが騒いでいますね。正しくは、騒がせている、という意図もあるのでしょうけれど。
と、ここで唐突ですが、ゆっくりと空をたゆたう雲を見ると、なんだか気分が落ち着くなぁっ、となる人も少なくないと思います。
その場合、その雲がどの高さにあるのかなんて正確には判断できないし、したところで心地良い気分にはなんの影響も及ぼしません。
その時点で、もう雲の質は完成されているし、認めているわけです。
あとはそれを見る人がどう感じるのか、という違いがあるだけのこと。
でも、そこにきて『どの雲が良いのか順番を決めなさいよっ!』って言われるわけです。
「なんで?」って聞くと、
『順位をつけることをひとつのエンターテイメントにできるから!』と。
なるほど。
すなわち雲一つ一つの価値はすでに決まっているということなんですから、
「じゃあ、テキトウで良いんですよね?」
となる。
けれどこう言い返されるんです。
『遊びも、とことん真剣にやった方が楽しいじゃない?』
と。
楽しければ多くの人の注目が集められる。
あの雲の良さを多くの人が知るキッカケとすることができる。
だから『順位をつけること!』をパッケージ化して、それをどんどん装飾することで『真剣度』を高めていく。
要は、商法のひとつの形。

ひとつひとつの雲が放つ心地良さは『商品』であり、雲に順位をつけることは『広告』であって、この二つは全く別次元のもの。
ですから、別々で考えるべきそのふたつを混同すると、ヤヤコシイ感情も生まれてしまうのでしょう。矛盾も生まれるし、答えのない不平不満も生じるのでしょう。
本質を見誤るがゆえのキケンとでもいうのでしょうか、こういうことは特に評価基準が明確に数値化できない物事には必ず生じるもの。結果としてそれが大ごとになるか、ならないか、の違いがあるだけで。
今回はこれが大ごとになってしまったパターンなのかな、なんて。
悔しさがゆえに負の感情を抱いてしまうことは人としてごく普通のこと。これは抑制しようとしてできるものではないでしょう。気づいたときには生まれているのが感情というものですから誰だって抱くものです。特に自分が自信を持っていることを否定されれば(もしくは否定されているような気がすれば)、当然、ムキーッとなってしまう。それが的確であろうと的確でなかろうと、どちらにせよムキーッとなってしまうもので、人として当たり前のものです。だから負の感情を抱くことそのものを否定する人がいれば、それはどんな聖人君子なのだろうかと尊敬致します。
そこは問題ではなく。
大事なことは、その感情がどういうものであるのか、その本質を見極め、それを踏まえてその後の行動の判断とすることは理性でできることなのです。
負の感情を誰かを蹴落とすことで自分の立ち位置を守るエネルギーとするか、自らの実力を再確認し自分を高める努力のためのエネルギーとするのか。前者は自分そのものは何も変わらない、後者は自分そのものが変わる。そしてそして、そのどちらを選ぶのかは、結局は本人の自由だぜっYES(笑)

 

阪神ジュベナイルフィリーズは、順当な結末でしたね。
もしも競馬ファンの大半がめちゃくちゃ馬券が下手だったら、ダノンファンタジーとて10番人気とかになれるのになぁ~、それなら迷いなく買うのになぁ~。と、多くの人の馬券の上手さに知人も嘆いておりました(笑)
香港国際競争は、どれか1レースくらい日本馬が勝ちそうだと思いましたが残念でした。
いちばん見ごたえがあったのが香港ヴァーズ。
リスグラシューの脚質を良く知っている人ならば、直線途中で『あ、勝った!』と思ったことでしょう。
リスグラシューは確かに2着が多い馬なのですが、それは後方待機直線一気という脚質上、豪脚を披露しつつも届かなかった場合2着に甘んじているだけなのです。もしもゴール前で捉えさえすれば必ず勝つという走りを常にしていましたから、まさか抜いたあとに抜き返されるなんて想像ができなかったです。ある意味ではリスグラシューの十八番を真っ向から破ったわけですから、相手がアッパレだと言うよりナイ(。-`ω-)mmm
中谷雄太騎手の重賞初制覇は残念ながらお預けとなりました。しかしながら狭いところでも積極的な競馬が見て取れますから、いずれその時がくるでしょう。と、信じまして♪

冒頭の写真のタイトルは『アロマ感は写真にするとホラー感になる』
(2018年12月10日typewrite)