キョギマミーレ・みつ豆氏、受賞す ~受賞の表とか裏のお話~
キョギマミーレ・みつ豆氏、受賞す ~受賞前夜~
理由はどうあれ選ばれし者
『選ばれし者』といえば、学級の掃除当番とて先生が一応選んだのだから『選ばれし者』である。また、体育祭実行委員なんぞ誰もやりたがらずに下を向いて選出を免れようとして、残念ながら適当に指名された地味目の山下くんもまた『選ばれし者』なのである。
かようにキョギマミーレ・みつ豆氏も『選ばれし者』であった。
氏は集英社主催の小説賞で受賞したことがある。
キョギマミーレ・みつ豆といえば二万の筆名を持ち、本人もそのほとんどを覚えていないという逸話が有名である。当時はキョギマミーレ・みつ豆とは別の筆名を使っていた。
氏は自らの才能を分析するに、選ばれるほどの才能を有していないと思えることから、投稿者全員が受賞したくないから下を向いていて、しかし誰かは受賞させなければならない使命を背負っている編集部の面々がくじ引きをして選んだのではないかとの疑惑を抱く。
しかし理由はどうであれ、受賞は受賞なのである。やったぜおらー!
授賞式の際、担当となる編集者が選出理由を簡単に語ってくれた。
「こんなエグめの作品を書く人がどんな人なのか見てみたかった」との声が編集部で上がっていたそうな。
確かに『竜頭』を心がけたその作品は冒頭から泥と血しぶきと少女の涙が飛び散っていたし、最後まで悲哀に満ちた世界観を崩さずに、小説らしい心情を描いた物語だったように思う。
受賞作に対する編集長のコメントがサイトに掲載されていたのだけれど、内容は以下の通り。
『作品の熱量は投稿作中随一。心理描写がすんごい。ただし、まだまだ内容が粗削りで手直しが必要』
みたいな感じだったと記憶している。
そんなわけで、編集部では「きっとこんなエグめの作品を書くような奴だから、キモチ悪くてドギツい人に違いない」という予想だったそうである。
そんな興味本位での受賞ならばいらない、とは言うまい。理由はなんだって良いのである。
そんなわけで、この記事では氏の受賞の裏側ドキュメンタリーを披瀝しようと思います。
ではでは、どうぞお手柔らかに。
『過去の栄光』という言葉がある
しかし過去以外の栄光なんてあるのかぇ? というのは野暮というもの。
氏は、ことあるごとに「あれはいつのことだったかのぅ……」と過去の栄光を思い出すフリをする。そのココロは自慢しようとする悪癖である。しかしながら、自慢ができるほどの権威ある賞ではないのである。ノーベル文学賞、江戸川乱歩賞や何度も起き上がりこぼし賞などの受賞であったらば真っ先にその固有名詞を掲げて言いふらすことだろう。しかし氏が戴冠した賞はと言えば、規定文字数さえ満たしていれば運次第で誰にだって取れる賞だと思えるものだ。例えるならば町内会の一発芸大会で入賞みたいなもの。
氏がなぜそこまで賞を低く見るのかと言えば、氏が自らの名誉を犠牲にして論理的に導き出した答えがある。
①みつ豆氏が受賞した
②みつ豆氏は矮小な奴である
③ゆえにその賞は矮小な賞である
こんなだから、氏は自慢はすれども賞の名称は伏せたままである。
ときに「その受賞も嘘なんじゃないのか。だから名称が言えないんだ!」という鋭いご指摘をなされる方がおられることだろう。
氏はこれに声を大にして反論する。
「ふざけるな貴様らっ。『受賞も嘘』の『も』ってどういうことだ、おい! なぜ他の数多ある嘘まで見抜いているのか天才かっ!」
氏を非難する数多くの者たちの、その慧眼には感服するばかりなのだけれど、受賞は本当のことである。
みつ豆氏、かようにして受賞作を執筆す
その頃、氏は文章の内容については全く考えず、規定文字数さえ書ければイイと都合よく思っていた。
小説新人賞なるものがあるらしいから、とりあえず送ってみてから考えようの精神である。完全に舐めている。業界を知った今の氏は過去の自分の豪胆さに大いなる恥ずかしみと少しの感服の意を抱いている。知らぬが仏というのは最強のスキルのひとつであると同時に、黒歴史を積み上げる諸刃でもある。使い方には注意が必要だ。
さて、文字数を満たしていればどんな酷い作品であろうとも投稿することはルールの範囲内なのである。
氏は何も考えずに適当に1行目をワードにポコポコと打ち出してみた。その1行の意味が続くように、次の文章をポコポコと付けたし付けたししていく。そうして水増し文章をポコポコポコポコ生産した。
氏は学生時代にタイピングに嵌り、タイピング検定に参加するくらいだったからキーボードを激しく打つことに苦労はなかったのである。このスキルが大いに味方したと言える。この頃の作文速度は1時間に3000~4000字強いくらいだったような。
その物語にはテーマもなければ舞台背景も行き当たりばったりであった。書きながら「こういう時代にしようかな、じゃあ近代兵器は使えねぇじゃねぇかぃ」だとか「せっかくだから動物も増やしておこう、うひひ」みたいにその場しのぎ的に考えていったわけである。いわば『蛇足執筆法』とでも言いましょうか、蛇足蛇足で継ぎ足していって物語となす、というような。
登場人物の名前ですらとりあえず『●●』と表記して書き進め、全体の文章が出来たあとから挿入するというくらい、行きあたりばったりであった。当然、どんな人物を何人登場させるかなんぞのプロット的な物を事前に用意しているわけではないから、唐突に『★★』が出てきたり『◆◆』が出てきたりやりたい放題だった。
かように、とにかく文字数稼ぎにばかり気がいっていたわけである。ノリノリである。
今、思い返しても本当に酷い手法である。しかし、創作に対する信念はもちろんのこと、小さなこだわりすらもない状態で書いているがゆえか、物語の進行に詰まるようなことはなく次々に書けた。最終的に13万文字程度の物語になったのだけれど、他に仕事をしながら10日程度で書きあがっている。
この当時の氏は『推敲』という作業についても良く知らなかった。
それまでの氏の人生において文章の提出とは夏休みの読書感想文や卒業論文くらいである。どちらも原稿用紙の規定枚数さえ満たせればOKという風潮があったので、当然1度とて書いた物を読み直すこともなく提出していたのだ。
そんな氏にしては、この物語については1度くらいは全体を通して読み直したはずなので、まだマシであったと言える。しかし、思い返せばやはり酷すぎるっ!
こんなふうにして出来上がった長編を、応募締め切りが近い新人賞に送ったのであった。
どうせ1次審査も通らないだろう、と思っていたので、その物語のことはすぐに忘れる
氏は「どうせ1次すらも通らないだろう。これでもしも1次審査に通過でもしたら才能があるのではないか。もしもそうなったら今度はちゃんと物語を組み立てて書こう。そしたら次の段階に進めるに違いない」的なことを、浅はかにも考えていた。
思えば、傲慢なのか謙虚なのかよくわからない。攻めてるのか守ってるのかよくわからない妙なスタンスである。
ただ勢いはあったのだろう。ノリノリである。
その物語を投稿してから、すぐに次の物語の執筆に取りかかった。執筆方法は同じ『蛇足執筆法』である。ノリノリだったのである。すぐに書き上げると、また次の物語に取りかかった。こうしてこの時期、別々の物語を3社の小説新人賞に応募している。
そうして数か月後3社3作品が最終審査に残ったのである。
氏の筆名は応募ごとに別々にしてあった。
登場人物の名前も決められないのだから、自分の筆名も決められるはずがなかったのだ。『自分の筆名はこれだっ!』という思いつきがなかったから、出版社に原稿を送付するときに適当に割り当てていた感じである。
通常は最終審査に残るなんて1作とてないことがほとんどである。数百を超える応募作品の中から10に満たない物語しか残らないのだ。そんな条件下でなんと3つも残った。
氏としては1次審査を通る才能があるのかどうかを試す程度の気持ちであったため、その反動でもう一瞬にして有頂天である。
『全部同時に受賞なんて、そそそ、そんなうまい話があり得ないことくらいはわかってる。しかし、3つもあれば1つくらいは受賞してもいいんじゃないかなぁ、うんうん』などと妄想を迸らせる。
氏はさっそくネット検索する。キーワードは『小説新人賞 複数同時受賞者 あり得る』など。こうして我をあっさりと失い、欲がすっかり芽生えたのであった。ふははははは。
欲が芽生えることで、同時に後悔が生まれることとなった
突如、予想外の幸運に巡り合って有頂天になってしまうことは仕方がないと言えよう。実に人間味に溢れていて微笑ましい。しかし氏は一方では焦りのようなものも感じた。
というのも新人賞に投稿するという行為に及んでいる以上、受賞という可能性を感じていればこそであり、不可能だとは思っていないということなのである。ただし、それは今回の投稿ではなくもっと先の成長後の話というくらいにしか思っていなかったわけである。
今回の幸運でそんな想定している先の先という時間軸が大幅にズレ、前倒しになって襲い掛かってきたわけである。
そんなわけで、最終選考に残ったというマイニュースは、氏に『こんなことならばもっとちゃんと物語を作り込んで推敲をしておくべきだった』という反省を促すものとなったのである。
思うに、多くの人がチャンスが到来したときにこそ後悔するのではないだろうか。喜ばしい事態の到来であるはずなのに、である。
これは、次のような心理メカニズムがあるからだと考えられる。
確固たる夢や理想はある。しかしながら、その想像図に対して現実感が伴わない。結果的に『自分に限ってそんな幸運には巡り合うはずがない』なんて希望薄な気持ちでいる。だから頭の中で思い描くその想像図に対してリアルなイメージがわかない。それこそまだ夢物語なのだ。それゆえ、その夢や理想が型を成すその時のための事前準備をしておけないのである。例えとして長年恋人募集中のモテない男がいたとしよう。一向にできない恋人。自分に恋人を作ることは不可能とまでは思えないのだけれど、未だ出会いはなく彼女ができるのはまだまだ先になることだろう、なんて考えてしまう。男は緊張感を抱くことなく、適当に仕事をし、無駄に買物をするなどして怠惰にすごしてしまう。そんなある日、想定外の出会いがあった。その女性との会話の感触は悪くない。男はここが勝負所(チャンス)だと思う。と、同時に大きな後悔をするのである。それまで十分な時間があったというのに仕事をサボっていたからその女性に対して胸を張れる仕事をしていない、そして無駄に買物をするなど浪費しまくっていたためその女性を十分におもてなしするためのお金もない。容姿端麗でもないモテない男なのだ、そのへんの付加価値を示すことができなければ、またフラれてしまう気がしてしまう。こんなのでどうしてその女性を誘えるというのだろうか、と怖気づく。そうなると積極性は焼失し、せっかくの機会を逃してしまうことになる。こんなことならばちゃんとしておけば良かった、と嘆く。
とまぁ、いざ夢や理想に近い幸運状態に鉢合わせたときすでに遅し、というパターンである。今はその時ではない、あるいはまだだいぶ先のことと考えられる時こそが、準備ができる唯一の時間であるということなのでしょうなぁ。
話を氏のそれに戻しましょう。
とはいえ、すでに文章は提出後なのだからどうしようもない。
そんなわけで、氏は即座に思考の転換を計る。
受賞率とは応募数に対しての入賞する割合のことで、小説新人賞の場合はよくて1%くらい。多くの新人賞はそれ以下という狭き門である。とはいえ、単純なくじ引きではないので確率はあまり関係ない。関係ないのだけれど氏は『3分の1なのだから1つくらいは選考委員の手違いで選ばれることがあるに違いない』というところで神頼み的な気を持つことにしたわけである。ポジティブである。
このご都合主義的見事な意識転換のおかげで、氏は『受賞連絡は今日かな明日かな? まだかまだかなまだかな?』とソワソワしながら毎日をすごすことになったのである。幸せ者である。
いつまで経っても音沙汰なし
それからかなりの期間ソワソワさせられ、ついぞ出版社からの音沙汰はなしだった。さすがの氏も「あぁやっぱり駄目だったんだ。そりゃあそうだな」と諦めることにした。
怠惰力上級者たる氏にも生活がある。その生活とは『出版社から小説執筆を依頼をされる』という事柄とは無縁のごく普通の生活である。当然、何らかの小説新人賞的トピックがない限り、選考のことは徐々に頭から消えていく。またこの時は執筆作業もしていなかったし、なおのこと『最終選考に残った』という事実は過去の産物になる。
そうして忘れた頃に、知らない番号から電話がかかってきた。
氏は対出版社用兵装を解き、対出版社的全裸の状態だった。つまり完全に無防備状態だった。ゆえに「どうせ何かの営業の電話だろう」と思った。
面倒だなと思いつつも、電話番号を変えた知人友人の可能性もあるため、電話に出ることにした。
もしも営業の電話であったらば即座に相手の言葉を切ることができるよう不信感MAXな雰囲気で出ることにした。
通話ボタンを押した氏は「はい」という言葉を「んぁい?」と聞こえるような感じで気だるそうにした。
「んぁい?」
「〇〇社です」
相手は男であり丁寧であった。であればこそやはり営業だったかぁと思ってしまう。それに『〇〇』のところが良く聞こえず『社』だけがちゃんと耳に残っていたのである。それもあって氏は知らないどこぞの企業の名前だと認識した。当然のように続ける言葉も気だるそうな感じを継続してしまう。
「はぁ?」
まるで溜息のようでもあったろう。
氏がそんな反応だったからか、相手の活舌が良くなった。
「集英社編集部ですが、〇〇さんでよろしかったですか?」
と。
さすがにこれははっきりと聞こえた。であればこそすぐに認識できなくなった。「……シウエイシヤ?」「……ハテ?」
営業の電話はたいてい聞いたこともない会社名が名乗られる。であればこそ逆に知っている会社名を名乗られると「あれ、なんか契約してたっけ?」「なんか関わりあったっけ?」と自分のそれまでの行動を回顧する頭に切り替わる。
シウエイシャ、しゅうえいしゃ、集英社!
すっかり頭のすみっこに追いやられていた記憶が、一瞬にして中央へと返り咲く。おかえりなさいまし、最終選考残存者。
これにて氏の態度は急転コロリである。
「ハ、ハイッ。そうでござーますヨっ!!」
電話であるというのに、背筋を伸ばし、一兵卒のごとき敬礼の心意気である。
その電話では、受賞したこと、今後氏の担当となる編集者が電話をかけてくれた当人であること、受賞作についての簡単な感想や今後の予定などが伝えられた。電話を切ったあとすぐにメールを送るから、今後はメールで連絡事項は送りますとのこと。
電話を切ると本当にその編集者から挨拶のメールがきた。詐欺ではなく事実だったようだ。氏は過剰なまでに丁寧な文面にて返信する。
それからは編集者からメールが来るのを待つのが日課となった。1時間おきにメールソフトを開いたりしてソワソワしていた。幸せ者である。
しかしメールは約1カ月ほど経っても送られてくることはなかった。
氏はさすがに忘れられているのではなかろうかと不安になる。
否、編集者はすでにメールを送信してくれているのだけれど、何らかの理由で氏のメールソフトには届かなかった。当然、編集者は氏がメールを受け取っているものと考えるわけだから、氏がリプライしなければ無視である。つまりすでに受賞はボイコット扱いされ、すでに授賞式は終わっているのではなかろうかという考えが頭に浮かぶ。
そんなふうに思い始めると焦りが生じる。
こちらから一報入れるべきか。否、それはさすがに何かを催促しているようにならないか。などといろいろ葛藤しながら、結局氏は何もせずメールフォルダーを開く毎日を送っていた。なるべく悲しい気持ちにならないよう、開く間隔は早くとも二時間は置いた。
そんなことを続けていると「どうせ今日も来てないんだろう」という限りなく虚無に近い心持ちでフォルダーを開くようになる。習慣化されてしまった小まめにメールフォルダーを開くという作業でしかなくなる。
ここに、また対出版社的兵装を解除し、完全無防備の状態へと移行する。
そんなところに待ち望んだ相手からのメールが表示されたのだ。受賞を伝えられたときよりよっぽど嬉しかった。
編集者のメールには授賞式の日程や場所、その他必要事項などが淡々と書かれていた。当然なのだけれど両者の熱は天と地である。
そんなこんなで、ようやく氏は受賞式を迎えるのである。が、その授賞式はまだ先のこと、約1カ月後なのであった。
授賞式までの1カ月の価値
さて、授賞式の日程を知ってから、その時までまたしばし時間がある。
こんな時、若輩たるみつ豆氏は『当日必要なものは何か? 万全とはなんぞ?』という邪推をゆめゆめほとばしらせるのである。
『編集者はもしかしたら、当日、受賞作の続編について聞いてくるかもしれない』
『編集者はもしかしたら、当日、受賞作以外の文章も読んでみたいと言い出すかもしれない』
『編集者はもしかしたら、当日、受賞作以外にどれほどの作品ストックがあるか知りたいと言うかもしれない』
『編集者はもしかしたら、当日、短編も書けるのかどうか問うてくるかもしれない』
などなど。
これらの想定をさらに超えたところにある対編集部突撃時の『完璧の対策』を施した状態で当日を迎えられれば、良い意味でインパクトを与えられるだろう、と氏は妄想するのである。これは本当に愚かなことであった。
なぜならば氏は世界有数の怠惰力の持ち主であったからだ。
先ほどの『編集者はもしかしたら』をまとめると、1カ月という限られた時間の中で『受賞作続編』『受賞作以外の長編とそのストック』『短編』『さらにプラスアルファの文章』の用意が必要。これは最低でも40万文字程度の文章を書かなければならないという計算になる。
しかもそれまでとは違い『編集者に読まれる』という意識をリアルに抱きながら書かねばならないのだ。
そんなもの、筆が進むはずがなかろうもんっ!!
氏が唯一使える『蛇足執筆法』が使えない。応募作執筆時のノリノリ感が嘘のように文章が進まない。そうなると自らの愚かさを誤魔化すかのように氏はゲームをしたり、友達とご飯に行ったりするなど豪遊にいそしんだ。
楽しい時はあっという間の法則に従い、気づけば残された時間はわずかになっていた。
そのわずかの残された時間にもゲームの続きを多少やりつつ、今からでもできることは何かと構想を再編成した。
結局、その1カ月でできたのは受賞作の続編が途中までと短編1つくらいのものであった。しかも、できたものと言えば蛇足執筆法を使った水増し文章&ゼロ推敲のズサンなものである。
そんなものをプロの編集者に見せられるはずがないっ!
そんなものを見せでもすれば、この人はこの程度の文章が限界の人なのだなとマイナスイメージで固定されてしまいかねない。
そもそも氏が独断で『もしかしたら編集者は』という妄想の上に描いた要望である。実際には何も求められてもいないのだから、最初から何も持って行く必要はないのだ、という結論にすり替えることにして自らの愚かさを誤魔化した。
という気持ちでいながらも「せっかくできたんだしもったいないから持っていこう」とその文章データをUSBメモリに保存し、荷物に紛れ込ませておくのだから一級品の愚行力の発揮であった。
みつ豆氏、受賞す ~授賞式当日~
集英社のビルはラスボスのダンジョン
受賞式は、帝国ホテルの大宴ホールを一日中貸し切って行われるはずはなく、社内で行われる些細なものとのこと。正装の必要はなく、ゆえに大仏の着ぐるみで行っても良いらしい。しかし氏にはその勇気がなく、面白みのない普段着で行くことにした。
1泊の予定である。持ち物も特に指定はない。本当に要望は何もなく、ただ社に来てくれればそれで良いというものであった。
あまりにも要望がないものだから、なおのこと心理的に試されているような気がしないでもない。
『何も要望を出さない状態で、この人はどんな準備をするのか』と。
妄想を炸裂させた氏は編集者に何を求められても、その全てに応えられるようにと考える。ノートパソコンやら好みの本やらその部署が発行しているレーベルの本やらをキャリーバッグに詰め込んだ。そうしていったい何泊するんだかという大荷物が出来上がる。
緊張と不安で睡眠障害に陥った氏は徹夜で家を出る。
新幹線で東京へと向かう。
東京駅は迷路のようで地方人には難易度が高いと聞く。しかしながら人間1人が認識できる空間は東京だからといって広がるものではない。大阪駅でややこしいなぁ人いっぱいだなぁと感じるのと大差ないのである。だから問題はない。普段通り冷静に迷子になりました。焦ったぁ~。
氏が駅員さんやコンビニ店員さんなどにウインクなどをし急場を凌いでいると、気づけば氏は背の高いビルの前にいるのである。
そこは指定された集英社のビルで間違いないようだった。
見上げると、空の上まで突き抜けているのではないかと思えるほどの高層ビルに感じられた(※真下から見上げるとたいていのビルはそう感じられる)。
とてもキレイなビルだった。見慣れている人にはありふれた建造物なのだろうけれど、地方人の氏には未来的建造物であるかのように感じられる。ビルの壁が太陽の光をまばゆく反射し、その輝きがゆえ壁の表面が超合金ダイヤモンドコーティングされているかのように感じさせる。それは威圧感となり氏に降りかかってくる。氏はまたさらに怖気づき『ちょっと場違いなところに来ちゃったかなぁ、あははのは』と儚く笑う。
そこはまるでラスボスがいるダンジョンであった。建物の内側は魔の巣窟になっているという妄想が迸る。たいていラスボスがいるダンジョンに入るときには、伝説級の剣や防具を身に着けているものである。あろうことか氏は剣も防具も持ってきていなかった。氏が持っているのは怠惰な1カ月の中で突貫仕上げをした長編小説と短編小説のみである。
そこで氏は「はっ!」となる。この出版社訪問というゲームの本質に気づいたのだ。
ここは出版社という名のラストダンジョンである。当然そこにいるラスボスは編集者ということになる。編集者にとって最も癒される物は何かと言えば『名文』である。もしも『名文』を渡しでもすればラスボスは大喜びし、体力を全快させてしまうことだろう。では、編集者に最も打撃を与える武器は何か。そう『駄文』である。なんと氏は知らず知らずのうちにラスボス編集者の弱点である『伝説級の駄文』を手にしていたのだ。
これはむしろ勝てる、と思い直した氏は意気揚々と自動扉を開き魔の巣窟へと足を踏み入れた。すると、一瞬にして妄想が霧散する。なぜか。それは、建造物内部がどうということはない一般的な配置の綺麗めオフィスビルであったからである。ま、当たり前なんですけどねぇ、ハイ。
メールで案内されていた通り、氏は受付で入館手続きを済ませる。受付のお姉さんも今までに出会ったことがないくらい凛とした人物に見えてしまう。氏は凛とした受付のお姉さんから渡された来客者用のバッジを胸につける。この小さな行動の中にも自らが関係者であるという実感を得る。そうして教えてもらった上階の部屋へと向かうことに。熟練の警備員さんの手招きに従い、エレベーターではるか高みへと向かう。
ひとまず時間まで待つ部屋は使っていない小さな会議室であった。そこの椅子に座って待つこととなったわけである。その会議室は6畳くらいの広さで、テーブルセットと内線用の電話機があるだけだった。壁に集英社製のエンタメポスターが所狭しと貼り付けられているということもなく、特にキョロキョロと拝見する物もない。ただただぼぅっとしていた。
しばらくすると扉が開く。
1人の男が颯爽と入ってきた。
その者も氏と同じ受賞者のひとりであるという可能性が考えられる。しかしその姿を見れば、そんな風に思うことはなかった。
ストライプ柄のスタイリッシュなスーツ姿というだけで高いプライドが感じられる。髪はシティボーイ感バリバリのオシャレパーマである。その姿のまま結婚式に参加しても違和感などありはしない。
氏は直感的に編集者だと確信した。
小さな会議室がさらに小さくなったように感じられる。空間は一瞬にしてエリート臭で満ち満ちた。
彼こそが天下は集英社の編集者である。氏の担当であり、のちに氏に対して罵詈雑言の限りを尽くし『小説とはなんたるか』の基礎を教えてくれるその人である。
その場に氏以外の受賞者がいれば編集者が放つオーラを薄めることができただろう。しかし、タイマンである。濃密濃厚だ。否が応にも緊張感が高まって然りである。
編集者は氏を値踏みするかのように、目を細くして観察してくる。氏も負けじと編集者をそこはかとなく観察する。
色白で、彫りが浅めの面相。体躯はかなりスマートで身長はそこそこ高い。間違いなく異性にモテることだろう。そして自分がモテるということを自覚しているような自信も感じられる。最強である。さらにその容姿の背後には集英社の冠が付加されているのだから、なおさら異性の好意を集めそうであった。実際に年齢を聞くようなことはなかったけれど、若く見えた。
軽く挨拶をする。氏は編集者が入ってきてすぐに、無意識に立ち上がっていた。だから、編集者にまた座るようにと促される。すっかり面接に来たような雰囲気だ。礼を言ってお互い座る。
座ってからも、値踏みするかのような視線を感じ続ける。どうも座りが悪い。
その会議室にはカフェのメニュー表が置いてあったのだけれど、そこから好きなものを選んでくれと言われる。
コーヒーを選んで、そのことを伝えると、編集者は内線を手に取る。しばらくするとスーツ姿の女性がコーヒーを持って来てくれる。なるほど、会議中はこうして飲み物などを注文できるということか。さすが集英社!!
編集者はまず受賞作についての簡単な感想を述べる。そしてその作風から編集部で「一体どんな人がくるのだろうか?」と話題となっていたと教えてくれる。というのも少々グロテスクで過激な心理描写のある物語であったため、イメージでは『見るからにエグい人、どちらかと言えば太ってて汗かいててキモチワルイ感じの人がくるのでは?』という意見があったそうだ。そんなアクの強いイメージを持っていた編集者としては、編集者曰く、氏は「思いのほかさわやかな感じの人」だったので、それはそれで驚いていたのだと言う。
「はぁ……残念ながら普通の人なんです」
氏としてはなんと答えていいことやら(笑)
この時すでに、氏はこの編集者とは性質的に合わないな、と感じていた。きっと編集者も同じように感じていたことだろう。
会話の間の取り方やテンポなどが微妙に合わないのだ。
お互い、初対面で敬意を払い合っているというのにそうなのだから、慣れて気が抜ければなおさら合わなくなることだろう。
とはいえ、これは好みの問題というわけではない。性質の違いという感じで、印象が悪いという意味ではない。打ち解けることがないタイプの相手という感じであった。
著名な作家さんがその本にて書いていたことがあるのだけれど、そのことを思い出した。
『編集者との相性はとても大事』と。その著名な作家さんが作家として大成できたのは編集者に恵まれたからだ、と。
もちろんこの言葉をそのまま鵜呑みにするようでは、思考があまりにも浅すぎるだろう。
凄腕の作家であったからこそ、編集者もその作家さんに合わせようとしてくれるのだ。その作家さんにとってプラスになるように、歩み寄ってくれるのである。なぜならば、そうすることが両者に最大の利益を生むからである。
要するに、作家と編集者の相性は『性格が違うから合わない』などと言って切り捨てられるものではない。
氏自身に光る何かを感じさせられなければ、編集者は相性の良い編集者にはなってくれないということだ。
当たり前のこと。これ全て氏自身の問題なのである。
実力の世界。
そんなもの先刻ご承知である。
さて、編集者いわく『大した賞でもない』とのこと。受賞式とは名ばかりの、あくまでも顔合わせ、親交を深めるためのイベント。「期待はしないように」
授賞式ご開帳
実際、授賞式は出版社のビル内にある部屋で行われる。
そこは学校の教室くらいの大きさであった。特に何かが飾られていたりすることもなく、3秒前に誰かが思いついて「今から授賞式をしてみよう!」と言い出して始められるレベルのものであった。
ただし、やたらと人は集まっていた。
皆、編集者である。
たくさん名刺を貰ったので知れたことなのだけれど、他の編集部の人も多くいた。物見遊山のような感じか、あるいは一応の授賞式の体裁をたくましくするためのサクラだったのかもしれない。内心「こんな忙しい時に、こんな賞に受賞式とかいらねぇよ!」とか思っていたりして。これはさすがに邪推か(笑) いやいやあながち……なははのは。
受賞者は氏を含めて3人いた。
受賞式会場にて初めて顔を合わせた。
2人とも氏より遥かに若い男性である。そのうちのひとりは大学生かもしれないというくらいに感じられた。そのへんのプライベートな部分に踏み込まない範囲で創作について話したのだけれど、やはり会話の内容がほのぼのとしており、雰囲気からしてフレッシュであった。だから氏も俄然若ぶってやった。
受賞式が始まる。
学校の教室を綺麗なオフィス仕様にしたものをイメージしてほしい。
その空間には会議室にありがちなパイプ椅子が並べられており、その最前列が氏たち受賞者3人のもの。そして、ただでさえ弱い立場である氏の背後をあっさりと取る形で、お偉方がずらりと並んだ。
部屋の前の扉のそばに司会者が立っている。
「では〇〇賞授賞式を始めます」(と、いうような開始の掛け声があったような気がする。正確な文言は忘れてしまいました)
さて、そんな司会進行役は誰か?
スタイリッシュなストライプスーツにシティボーイパーマ、そう担当編集者であった。
お前がやるんかいっ!!
あとから聞けば、今回の受賞者全員をその編集者がまとめて担当するからとのことらしい。
まったく、とんだ欲張りさんだ。と、言いたいところなのだけれど、編集者としてはすでに名声のある作家さんの担当につきたいはずである。そのための営業の時間も取れなくなるであろう。だから、まとめて世話役なんてのは面倒事以外の何ものでもないような気がする。
このことを裏付けることとして、その後の懇親会の席で担当編集者はこんなことを話していた。
偏差値の高い有名な賞を取ったとある作家さんがいる。しかしまだ全然売れていない。たまたま氏はその作家さんを知っていたので(偶然にもデビュー作からすべて読んでいた!!)、とても興味深く、うれしい気持ちになった。
その作家さんは出版業界からは評価が高く、読者の認知度がまだついてきていないという感じなのだそうだ。確かにそう表現されると、すごく納得がいった。氏自身、その作家さんはもっと売れても良いのになぁと思っていた。
これは、言い換えれば、今後売れる可能性の高い原石のようなもの。
考えれば当然のことなのだけれど、未知数の新人に希望を持つのも良いけれど、すでに商業作家としてスタートを切っていて、なおかつ評価が高いのにまだ売れていないという人にアプローチする方が成功する可能性は高かろう。
実際、担当編集者はその作家さんに会ったことがあるという。集英社で作品を書いてほしいという打診をしたのだそうだ。すると、その作家さんは「あなたで9人目の依頼だ」と言ったのだそうだ。その全ての依頼を受けることは時間的に不可能だから、提示される条件などを鑑みて作家側が選ぶことになるとのこと。
その後、どういう経緯を辿ったのかの詳細は知らない。ただ、その作家さんは、それ以降からこれまで何冊も出版しているが全て他の出版社からである。
授賞式に話を戻しまぁす。
まず編集長が挨拶をする。祝辞とエールと厳しい世界であることについてのお言葉。
次に、編集長が挨拶をする。祝辞とエールと厳しい世界であることについてのお言葉。
さらに次に、編集長が挨拶をする。祝辞とエールと厳しい世界であることについてのお言葉。
もぅ編集長だらけ(笑)
違う部署の編集長で3人とも年齢はオジサンクラス。うち2人は茶髪である。さらに、そのうち1人はストライプ柄の白スーツであった。具体的に言えば、一人は普通のおじさん、一人はちょい悪オヤジ、一人はチンピラであった。後ろの2人は別部署の編集長である。
次に副編集長が挨拶をする。立場的にそういう役割になるのだろう、とても現実的なことを丁寧に述べておられました。業界の過酷な現実を。
その後、受賞者ひとりひとりが盾や賞状や目録を受け取る。
最後に写真撮影をして閉式となったわけである。
式のあとは出版社の内部を案内してくれるとのこと。
そして夜は中華料理屋に移動して懇親会という運びとなる。
編集者いわく「大したことのない小説賞なので」と声を小さくして言うのだけれど、氏としては全てが初めての体験の連続であり、その全てが刺激に満ちているのである。どうなろうとも、幸運以外の何ものでもないな、というのが氏の感じるところであった。
社内見学の儀
集英社は日本のエンターテイントが集まる発信局のひとつと言える。そのビル内は、興味のある人からすればテーマパークのようなもの。廊下に飾られているキャラクターのパネルなどを見るだけでもじんわりと感慨深い。ポスターもあちらこちらに貼り付けられているし、廊下には郵便物らしき物がたくさん放り込まれてた段ボール箱が置かれている。雰囲気ムンムンである。
さて、そんな出版社の内部を案内してくれるのはご存じイケメン担当編集者である。
氏を含めた受賞者3人は、金魚の糞のごとくふよふよと担当編集者の後ろについて歩くのである。
出版社の内部はテレビドラマなどで何かとお茶の間にお披露目されている。
たいていは広いオフィスの一室に所狭しとデスクが並んでいる。デスクと言う名のパーソナルスペースはその編集者個人の仕事っぷりが目に見える形を成す。人によっては資料が綺麗にまとめられていたり、あるいは乱雑に積み上げられていたりするものだ。
そんなドラマ上の映像と氏が見た事実は、さほど離れてはいないなという印象だった。ただし『原稿や資料に埋まって徹夜続き、風呂に入る暇もなく仕事中』というような髭面ボサボサ頭の編集者はいなかった。
全体的に綺麗にまとまっている印象で、どちらかと言えば落ち着いており、あっさりとした印象だった。その時、在室の編集者の数も少なかったこともこのイメージに影響を与えていたものと思われる。
それと編集者いわく、どうやら部署の合併などで大きな動きがあったらしく、それでデスクなどを引っ越ししたばかりだからキレイなのだ、とのこと。フル稼働状態だったならば、もしかしたら『原稿や資料がお風呂代わり』というような、物語上の編集者が実在していたのかもしれない。
さて、その部屋の奥に校閲の部屋へと続く扉があった。そこは口頭での説明で中には入れなかった。作業中とのこと。
編集部としても気を使う作業工程を担う場所。その扉が高尚なオーラをまとっているかのように見えた。大げさではなく、そんな気がするのだ。
編集部のオフィスで椅子に座り、そこに居合わせた編集者と少し話したりもした。
「厳しい世界ですよぉ」というのは彼らにとって初対面の挨拶のようなものなのかもしれない。ただしその口調は人それぞれなので、その言葉が帯びる緊迫感やら圧迫感やら真実味は全然違うのだけれど。
そこで話した人は、結構真実味を帯びた話し方をしてくれた。そういう人は「厳しい世界だ」という言葉だけでは終わらず、「では厳しい世界で何が大切か?」ということも続けて教えてくれる。厳しい世界にいるというだけのこと、とてもやさしい人なのだ(※さすがと言うべきか、この人はのちに編集長になっていた)。
『小説を書くために何が必要か』ということを、その編集者の体験を踏まえて聞かせてくれる。まさに生の声であり、門外不出というか、なかなか耳にできないものである。刺激的で貴重な体験だった。
しばらく話していると、その編集者は「ちょっと待ってて」と言ってどこかへ行き、すぐに戻ってきた。
1冊の本を手にしていた。大沢在昌さん著『売れる作家の全技術』の単行本であった。
「あげる、これに商業小説の創作についての神髄が書かれてるから。ものすごく勉強になるから」とのこと。
最初からその本を受賞者に渡すということが予定されていたわけではない行動であった。たまたま手が空いた時にオフィス見学に来た受賞者がいて、少し話をしてみたら気が合ったのでプレゼントしようという偶発的なものだったのだと思う。これもまたライブ感とでも言うのだろうか、授賞式に参加する際の大きな付加価値を感じられる一瞬だった。幸運である。
さて、頂いた本はと言えば市販されているものなので手に入れようと思えば簡単に手に入る。しかし編集者から直接手渡されるという背景を持つと、何か特別な重みを感じられるものだ。伝説の黄金の書を手にしたような、そんな感じ。だから「はわわわぁ」と、とても感慨深い気持ちで両手で持ち、その表紙をじっと見つめてしまうのだ。すると、あることに違和感を覚えるのである。
『角川書店』
氏は思わず聞いてしまった。
「え、他の出版社のですがこのようなことは普通なのですか?」
編集者のリアクションはとても軽いものであった。
「いいのいいの、良い本は良い本なんだから」
ライバル企業の製品を宣伝するようなことは、通常商売ではご法度というのが暗黙の了解であろう。しかしオフィスビル内で競合他社の本をおススメするのだから驚きであった。
つまり、本当に良い本なのだ。
業界からしてお墨付きの指南書なのだ。
ごちそうさまでした。
その後、他の階層へと向かい他の部署なども見学させてもらうことに。
その途上、また刺激的なシーンを目撃する。
廊下の途中に自動販売機のあるちょっとしたカフェスペースがある。そのスペースは廊下から区別されているというわけではなく、空間がやや膨らんでいるだけという感じである。当然、すぐそばを人が通りすぎていく。そこには丸い小さなテーブルと椅子が3セットくらいあった。簡素なものだから長居することは想定されていないのだろう。しかし、そんなところに明らかに長居しているに違いないと思える人がいた。その人はテーブルに張り付くようにして何か作業をしているようだった。
氏はその真横を通りすぎるのだけれど、座っている人の意識がこちらに向くなんてことはない。それほどに作業に集中しているのだ。
編集者はそんな違和感バリバリの人がいることを気にも留めない。あっさりと通りすぎて行く。
つまり、それは彼らにとって日常的なことなのだろう。
それが誰なのかはわからないし、マジマジと作業中の手元を覗き込むようなことはできなかった。しかし、締め切りに追われた漫画家さんが、そこで原稿を書かされているという風情は感じ取ることはできた。
空いている部屋はいくらでもあるだろうに、なぜそんなところで原稿を描く必要があるのだろうか。そんな風に疑問視してみると、その光景は確かに『厳しい世界』の一幕に違いない、と思えるものであった。
申し訳ないのだけれど、そんな光景ですら氏にとっては記憶に残る楽しい一場面であった。
また違う部屋に入る。
そこにはチンピラがいた。白地に黒いラインのスーツ姿のあの人。その人がその部屋の上座的デスクにいた。
あぁ、本当に編集長だったんだぁ。
出版社のビルは刺激に満ち溢れている。
懇親会はオサレな中華料理屋さん
イメージ的に作家さんの多くは夜型で、その作家さんに寄り添う形にある編集者は一般的なビジネスマンとは少しズレた時間感覚があるように思う。事実がこのイメージと近からずも遠からずというのならば、朝は遅く夜対応型の編集者もいるのだろう。このことについて直接編集者に聞きはしなかったので、正しいことはわからない。ただ、この懇親会に参加していた編集者の多くは、懇親会後、社に戻り仕事をするのだという。忙しいのだという。
ごめんなさい。
時はすっかり夕食時である。
暗い店内をオレンジ色のスポットライトが照らし出している。濃紺の木目調をした雰囲気の良い中華料理屋である。
扉をくぐれば反射的に背筋の伸びるような高級料理屋、という感じではなく、落ち着いた中でお酒を飲みながらゆっくりと食事をするといった風情。デートなんかに向いているのかもね♪
もちろん、氏はデートなどではない。
長方形の6人掛けテーブルを3つくらい占拠していたので、総勢13人から18人くらいいたのだと思う。いちいち数えてはいないので正確なことはわからないのだけれど、確かなことは受賞者3人以外は全員編集者である。
まだこの時、氏たちは受賞者として歓迎されている段階なので肩身の狭さはない。しかし想像するに、もしもある程度の付き合いがあって締め切りを抱えている作家さんだったならば、ただの地獄でしかないのだろうなぁ。
幸い浮かれ気味の氏は、状況を悲観することなく食事を美味しく頂ける精神状態をキープできていた。結果的に砕けた感じで会話ができた。そこは良かったなと思う。
アニメやドラマに出てくる関西弁について少し話す。関西に居を置く氏とて、あんなコテコテの関西弁にはなかなかお目にかかれまへんですわ、あれは新しい方便に違いないと思いますわ、と伝えておいた。そうしていると参加者全員が揃う。
氏はお酒が飲めない体質であるためウーロン茶をチョイス。このあと仕事がある編集者たちは「さすがに仕事なので飲むわけにはいかない」などとは誰も言い出さない。「今日はそういう日だから♪」と言って、そのほとんどがお酒であった。
カンパ~イ。
ギョーザや肉の炒め物などいろいろと出てくる。テーブルの上はすぐに多彩な中華料理で埋め尽くされる。どれもとても美味しかったという記憶はあるのだけれど、その一品一品を細かくは覚えていない。なぜならば、それよりも編集者との業界話の方が充実していたからだ。
氏の隣には例のイケメン担当編集者が座っていた。
先にも書いた通り、氏とその担当編集者は会話の波長が合わない。冗談を冗談として受け取れるポイントが違うし、なごやかに軽口を挟むタイミングも違う。盛り上がり方やそのタイミングも違う。当然、会話の内容の好き嫌いのポイントも全く違うところにあるという感じなのである。
しかし、そもそもその担当編集者はとてもクールなタイプで、氏以外の人とも馬鹿話をするような感じではないのである。口下手とは違う、本当にクールなのだ。そんなだから、共通の話題が用意されていて、真面目で落ち着いた話ならばずっと話していることはできるのである。
これはプライベートではない、仕事なのだ。そして仕事の会話となると話すことはたくさんある。
出版業界について。小説創作について。
小説創作について右も左もよくわかっていない初心者状態の氏にとっては、編集者のどんな言葉も勉強になる。だから興味津々の姿勢で聞くことになるし、相手もそうなると話しやすかったのだと思う。懇親会の間中、氏とその担当編集者は他の人とはあまり話さず、ずっと話していた。
たまに編集長などが会話に入ってくることがある。しかしほんの一言かける程度で「続けて続けて、今のうちに聞けること聞けるだけ聞くのが良い」と、どことなく勉学に励む学生とその担任の先生とのやり取りを微笑ましく見守るようなスタンスであった。編集長視点で見ると、担当編集者が受賞者と関わるのはその編集者の経験にもなるから、という意味もあるのだとか。
渦巻いてる、いろんなマジメが渦巻いてるぞっ!!
会話のテーマは自ずと『小説をはじめとする創作物に関すること』となる。
とにかく多くのことを聞いたのだけれど、会話全体を通して驚かされたことがある。
この編集者、多くの小説の内容を人物名なども含め具体的な内容とともに即座にそらんじられるのだ。
それだけ多くの本を読んでいるということにも驚かされるし、それほどの数を読んでいるのにも関わらず、そのひとつひとつの内容を詳しく覚えているのだ。いや、覚えているだけではない、何も知れない氏にもすぐに理解できるようにアウトプットできてしまうのだ。まるでどこかにあらすじ原稿があって、それを読んでいるような感じであった。内容を記憶しているというだけならばまだしも、記憶からランダムに引き出した小説の内容を、特に思い出す時間を要さず口に出して伝えられるというのは、なかなかできるものではない。
氏は思わず、いったいどんな読解力と記憶力をしているのだと突っ込んでしまった。
するとその担当編集者は平然と「僕なんて平凡でもっとバケモノみたいな人いますよ」と言う。
恐ろしい世界である。
当然なのだけれど、氏の好きな小説は何かということも問われる。
氏は思いつくタイトルをいくつも挙げる。あえて色んなジャンルや年齢層の作品にする。さすがに読んだことのない作品もあるだろうと思っていたのだけれど、驚くべきことに全てご存じだった。こうなってくると、なぜか追い込まれていくような気がしてくる。どうしても自分の無知と不勉強ぶりを自覚せざるを得なくなるのだ。
続いて、挙げた小説作品のどこが良かったのか、という問いを重ねられる。
氏は小説など、漠然と楽しいかどうかという感じでしか読んでいない。感覚的に読んでいる。ときに分析的に読むことはあるけれど、好きな小説となれば楽しむことを優先してしまうため、より感覚的な読み方になってしまっている。そんなだからすぐに説明ができるほど脳内で内容がまとまっていないし、登場人物の名前すらも曖昧だったりする。
天井を見上げるようにして、記憶を手繰り寄せながら感想を述べることになる。とてもではないけれど、理路整然とした話し方は不可能であった。
それでもその担当編集者は「なるほど」と理解を示してくれる。ただし、そのあとに「その作品はね」と、氏の数倍詳しい内容と充実した感想を話してくれるのだ。
驚きの連続である。
また氏は思わずと問うてしまう。
「むしろ読んでいない作品は何なんですか?」
「ほとんど読めてないですよ」
時間があるのならばもっと読んで勉強したい、というようなニュアンスの返答だった。
一線級の舞台にいるプロってすごい、と思う一面であった。
さて、氏はこの後何カ月も、たくさんの長編小説を書いてこの担当編集者に提出するのだけれど、編集者のこのプロ技能がゆえの厳しい洗礼を受けることになる。
とにかく密度の濃い時間を味わい、充実の経験をすることができた。
とても楽しかったし、刺激的であった。
懇親会解散後、編集部の人たちは酔いもそのままに仕事をするため社へと戻って行った。
氏はそんな姿を見送り「頑張らなくては!」という内なるものが熱く盛り上がる感覚を抱き、宿泊するホテルへと向かう。
これら宿泊費をはじめ、交通費、賞金その他もろもろ氏の全てにかかる費用は出版社持ちである。お金を払っても体験できるものではないというのにありがたいことである。何から何まで幸運な1日でした。
みつ豆氏、受賞す ~その後~
担当編集者とのやり取り
その後、担当編集者とのやり取りは、月に1つ長編新作を書き上げ、それをメールで送付し、意見をもらうという形となった。
なぜそうなったかの経緯は割愛するとして、受賞作はひとまず棚に上げておこうというわけである。
氏もこれには賛成だった。なぜならば最終選考に残った際、「もっとちゃんと書いておけば良かった」と後悔するような自己評価だったのだ。そんな突貫で書いたような作品を処女作として世に出してほしくなかった。それに、受賞作の作風がそのレーベルカラーに合わない作品であることは百も承知であったし、担当編集者も「序盤からあの過激な展開はウチの読者層にはちょっとキツイですねぇ」と言っていた。
いずれにせよ、この時の氏にとってはそんなことはどちらでも良い。確かなことはプロ編集者を相手に作品を通したやり取りができるスペシャルを獲得したという事実である。
新作の内容についての指示はナシ。
プロット段階での提出もナシ。
事前の助言もナシ。
とにかく思うがままに書いたものを読ませてください、ということだった。
「やった~自由に書けるぞっ」とはならない。なれる人がいれば、それはそれで幸せ者で羨ましいなぁと思う。というのも、方向性やテーマを限定してくれないということは、どこまでも自分で考えて正解を引かねばならない、ということなのだ。当然のこと、編集者も口には出さないのだけれど、求めていたり好みである作風がある。そしてその編集者が所属するレーベルにもカラーというものがあるのだ。遊びでやっているわけではないのである。あくまでもビジネスのため、というのが大前提なのだ。好きに書いて良い、と言われたからといって、それそのままの言葉として受け取ることなどできはしない。言い換えれば、ゼロヒントで『僕たち編集部が何を求めているのかを含めて想定し、それに合わせた作品を上納せよ!』ということとなる。ヒェェェェェェ~(;´∀`)
やるっきゃない。
とはいえ、懇親会で別れた瞬間から締め切り1カ月のカウントダウンは始まっている。悠長に考えている余裕などない。最初から提出できなかった、なんてことだけはなんとしても避けなければならない。
そこでひとまずは受賞作があるのだから、その受賞作のスピンオフ的な作品にしてみよう、ということにした。
氏の受賞作は中世ヨーロッパをベースにしたような舞台のダークファンタジーであった。ハイファンタジーというところはレーベルカラーと適合するのだけれど、ダークな部分が少々行きすぎているという感じに思えた。
ダークな要素を少し薄め、評価された世界観やら心理描写やらを詰め込んでみるか、と。
そして、公募の時のノリのままにプロットすら考えず執筆に入ろうとするのである。なぜならば氏はそういう書き方でしか小説を書き上げた経験がないからである。この時、プロットがどういうものかすらよくわかっていなかったのだ。
思えば、新人賞に応募する作品を書いていた時は1ヵ月に1作書きあげるのは簡単なことだった。仕事もしていたし遊びに行ったりもしているので、実質、発想から本文の書き終わりまでを含めて10日くらいで終わっていたように思う。
そんな経験があるものだから、まぁ「とはいえ1ヵ月もあるんだからなんとかなるだろう」というふうにも考えてしまう。それこそ1ヵ月で2作くらい書いて、より良いと思える方を提出するというのはどうだろうか、などと甘い妄想までしてしまう。
確かに、書くということにさほど苦労をしていなかった時期なので書き出しは順調だった。序盤を書き始めれば勝手にこういうストーリーにして、こういう着地点にしようなどということが見えてきたりする。
うん、これなら大丈夫そうだな。
そう思ってしまった。
この悪癖こそがその後、氏自身を人生レベルで悩ませ続ける怠惰力上級者たる所以なのである。
イケる、と思えるのならば、そのまんま一気に書き上げてしまえば良い。しかし、氏はもういつでも書き上げられるのだから遊ぼう、と執筆を中断してしまうのである。テヘッ(≧▽≦)」
楽しい楽しい時が経つのはとってもはや~いのである。
気づけば提出期限の1週間前であった。
この時、氏はまだ2週間くらいはあるだろうと思い込んでいたりするから、その焦りようは半端ではない。
慌てて、執筆を再開させる。
学生の期末テスト前の一夜漬け感覚である。
そうやって締め切りに追われて書くと、思わぬ問題が急浮上してくるものである。
まず、これが新人賞の応募と、まるで状況が違うということを思い知るのだ。
「当たり前だそんなこともわからないのか!」と叱責を受けても言い返す言葉がない。
新人賞の応募の場合は、締め切りがくれば受付が終了するだけのことである。書けなければ送らなければ良いだけのこと。そのことについて誰から何を言われるということもない。そんなだから、特に焦ることがない。それがゆえ脳がリラックス状態にあるのかして良い感じに働く。キーを打つ手が止まることがないのだ。
一方、明確に『締め切り』を意識して焦れば焦るほど脳が委縮するのかして、頭が働かなくなってくる。物語の次の展開が思い浮かばなかったり、思い浮かんだとしても、どう考えても陳腐なものだったりする。すでに書いた部分の内容が頭から抜け落ちており、あとから物語の整合性が取れなくなったりもした。
人には二種類いる。
追い込まれなければ本領を発揮できない人。
余裕がないと本領を発揮できない人。
氏は後者だったのだ。
と、初めて知った。
うん、知ることができたのでヨシとしよう。
ということで、なんとか完成させた物語は『受賞作の方が数倍出来が良かったな』と自覚できるものだった。
そんなものをプロ編集者に提出するなんて、どうしてできようか。
生き恥も甚だしいっ!!
提出した。
そう、提出しないということが最悪の結果なので、送るほうがマシというスバラシイ論理を氏は導き出したのである。
しばらくすると編集者からメールがきた。
『読みました。電話をしたいので、空いている日時を教えてください』
物語の出来が悪くとも提出できないよりはマシ、という考えは甘かった
マシ、なんてレベルではなかった。まぁ長期的な意味では、確かに提出したことは間違っていなかったのかもしれないのだけれど。しかし、瞬間的には提出しないほうが精神衛生上良かったのではないか、と思えるくらい編集者はおかんむりであった。
電話の向こうの編集者は言外に「こんなゴミを読ませるな!!」と言っているようだった。
氏は電話ということもあり頭を下げることはしなかった。しかし、心は平身低頭、声音は虚弱体質である。
「はぁ……すみましぇん」
この時こそが、初回にして、即座に、担当編集者と氏の力関係が決まった瞬間であった。
以後、立場の逆転劇は行われない。どころか、力関係において、その差は1ミリとて縮まることのない、まさに主と奴隷の完成形である。
新米作家と編集者が作品を通して対立し、決別するというのは良くあることである。新米作家が編集者に受けた仕打ちについて物申す記事やコメントはネットで探せばすぐに見つけられるだろう。多くは、編集者の否定的な意見に「それは違う!」「それはこういう意図で書いたのだ、理解できないのは、あなたの感性に問題がある!」などいうところが対立の根っこになっているように思える。これを正当化するために編集者の感性がいかに間違っているかをいろんなエピソードを重ねて書こうとするから、むしろ言い訳がましくなっていたりする。多くの人に自分の不遇をわかってほしいと思う気持ちはよくわかる。しかし、このような劣勢の訴えは、むしろ淡々と端的に論理的な文言であるべきで、できる限り感情を排除したものの方が良い。しかし感情を排除できるのならば、最初からそんな文章をネットにアップすることもしないか。これは作家の訴えに限らず、日常的な人間関係にも言えることのように感じているところである。
作家によっては、自分の書いた作品は我が子のように愛おしいのだという。それは血と汗の結晶であり、大切な物であり、ゆえに、尊重してほしいと思っている。もちろん、至らぬ点の多い作品とも自覚しているので、ある程度否定的な意見を言われることは覚悟している。しかし、それにしても作品を尊重した上で物申してほしい、という気持ちでいるらしい。
そんなだから、言葉を選ぶことなく否定されれば、最悪の場合自分の人格そのものを否定されているような錯覚を抱いてしまうのだ。
氏の担当編集者も、このような対立はよくあることだと言っていた。
編集者側からすれば、尊重しようがしまいが意見は変わらない。意見をどう受け取り、どうプラスにするのかでしかないのではないか、と。
思うのはビジネスとしてリスクを背負ってやっているという一貫した芯を貫いているのは編集者であり、であればこそ強い態度でいられるのではないか。どちらかと言えば、作家側に明確な信念のようなものがなく、ふわふわしていたりする傾向が強い気がするのは偏見か。
なによりも、編集者に反発して、編集者を言いくるめられたとしても作品は何も変化していない。言われた意見が作品に投影されることはなく、ゆえに、その作家自身以外の視点を作品に重ねることができない。つまり、成長しないし、進化もしない。『自分』という小さい殻の中で、作家性を完結させてしまうのである。
確かに瞬間的には歴戦のプロ編集者を御すことができて優越感に浸れるのかもしれない。けれど、その時点でその編集者はそんな作家をバックアップしてくれなくなる。もしもそれで他の編集者にも相手にされなくなれば『自分の価値』を広めてくれる存在を永劫得られないことになる。
やはりどう考えても損失の方が大きい。
これが業界の真理である。
こんなこと氏は先刻ご承知である。
ゆえに意見は全部聞き入れ、活かせることは全部取り入れる。活かせない意見は使わなければいいだけのこと。その意見は間違っている、などと反論する必要はそもそもないのである。
というよりも氏は何も知らない文章書きである。業界で言えば小学1年生のような段階にあるのだ。どんな意見にさらされようとも全て氏の至らぬ点でしかない、と思うよりなかった。
だからである。
氏は、編集者の否定的な意見に対してぐっと堪える必要すらなかった。
「はいそうですね」と答えながら、言われた意見に対し、どのような質問をすれば、それを活かすための具体的なヒントを得られるのだろうか、と考えていたりした。
これが良かったのだろう。
編集者は最初こそ怒り心頭という具合だったのだけれど、次第にイチから丁寧に創作のヒントをくれるようになった。
そうして初回の電話でのやり取りは密度の濃い3時間であった。
客観的にみると、普通の人ならば10分で喧嘩して終わってただろうなぁ、なんて思う。自身に対してプライドがないって、実はめちゃくちゃ強い。そして本当の意味で強くなるためのヒントを得られるのだから、うまくいけば本当に強くなれるのだ。そうやって、進化した作家さんも多くいることだろう。
残念ながら氏はせっかく頂いたヒントをまだ全然活かせていない弱小迷文家である。しかし、今もプライドを持つことなく、地道にあれこれ試行錯誤しながら自身の可能性を試している。
さて、このように新作長編の1カ月に1作仕上げて送付し、電話で意見交換をするというやり取りを1年間ほど続けることになる。
編集者いわく、たいていの受賞者は1作か2作のやり取りをすれば書けなくなる、とのこと。
氏がこの編集者から唯一褒めてもらったことがある。「そのへんの書く技量と気概だけは認める」とのことだった。内容とかはケチョンケチョンだったのだけれどネ(≧◇≦)w
ケチョンケチョンに言われ続けながら、氏は確かに「普通の人ならば精神的に追い込まれ潰れてしまうのだろうなぁ」なんてことを平然と客観していた。なぜならば、そもそも氏は自分の実力なんてその程度のものなのだと自覚しているからだ。自覚していることをそのまま言われたところで特に落ち込むことがない。だから、なんとかこの編集者から創作のヒントを得ようと色々問いかけることができた。会話の波長が合わないとか言いながら、いつも長電話である。
written by K.Mitsumame
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